2008年10月19日

深川飯は『東京』の常識か?

あいかわらず『クイズ番組』がテレビ画面をにぎわしています。

ただし、以前と違うのは、出場者が一般視聴者よりも、タレントが多くなっているそうです。

ここから、いわゆる『お馬鹿タレント』という新しい分野が生まれてきたのでしょう。

昨日(10月18日)夜、某局のクイズ番組を見ていると、5個のヒントから都道府県名を当てる問題がでました。

その中のひとつを紹介します。

  第1ヒント 日本で最も人口の少ない市町村があります。

  第2ヒント この鳥がその都道府県の鳥です。
          (白くてかわいい鳥が画面に映りました)

  第3ヒント 日本で最初のモノレールが走りました。

  第4ヒント 深川飯があります。

  第5ヒント 浅草寺があります。
          (雷門の大提灯が画面に映りました)


鉄道ファンなら、第3ヒントでわかるでしょう。

(恥ずかしながら、私はわかりませんでした)

回答者は3チームに分かれており、2チームは第4ヒントでわかりました。



そうです!

答えは『東京都』です。



白くてかわいい鳥は『ゆりかもめ』です。

日本で最初のモノレールは、上野公園内を走っています。



『日本で最も人口の少ない市町村』は青ヶ島村です。

東京本土から南へ380キロですから、新幹線では名古屋までの距離とほぼ同じです。

人口は本年9月で198人です。

ネットで検索すると、人口の約半分が島外出身の村役場職員や学校教員・建設作業員及びその家族で占められていることから、島民の平均年齢は離島としては若く、30歳代後半です。

集落がふたつあります。

いずれの集落であっても島内の全ての住所は『青ヶ島村無番地』です。

つまり、大字や小字はおろか地番すらありません。

そのため、住所を書かなくても郵便番号と宛名さえ書けば郵便物が届きます。

ただし、住民のほとんどが「佐々木」「奥山」「菊池」「廣江」のいずれかの姓であるため、宛名は名までを間違いなく記入する必要があるそうです。

ついでにもうひとつ、他の伊豆諸島の町村と同じく所属する郡はありません。

「東京都青ヶ島村」が正式な表記です。


ところで、その番組の司会者は東京に住んでいるならば、「第4ヒント(深川飯)で当てるべきだ」と言っていました。

はたして、『深川飯』が常識といえるかどうかは、『微妙』な問題です。



しかし、『浅草寺』が東京にあることを知らないと、日本人としての資格を疑われるかも知れません。
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2008年10月18日

一朝事ある時の備えは、だいじょうか?

本日の出勤途中、自宅から駅までの間にある区民センタの広場では『文化祭』が開催されていました。

秋といえば、『文化の秋』でもあります。

ところで、テレビ、新聞の報道では『文化人』ということばが出てきます。

いわゆる芸術家、学者、作家などを呼ぶことばですが、それに該当しない我々は『非文化人』つまり『野蛮人』ですね。

『野蛮人、みんなでなれば恥ずかしくない』、いかかでしょうか。


江戸時代の武士の『教育方針』に『文武両道』がありました。

この言葉は日本語であって、中国語にはないと私は考えます。

なぜならば、かつての王朝時代の中国では、武は文よりもはるかに低い地位にあったのです。

『良い鉄は釘にならない。良い人は兵にならない』ということわざがあったほどです。


この影響でしょうか、北宋時代から軍人は中央の要職につけず、文官が国家の軍事の中枢を握っていました。

現在の言葉では『文民統制』です。

この発案者は北宋の初代皇帝となった趙匡胤(ちょうきょいん)といわれています。


唐代の中国には、辺境地方には『節度使(せつどし)』という役職が置かれました。

国境防衛のための軍事権のほかに、その地方の行政権も与えられました。

まさに『鬼に金棒』です。

中央政府がうまくコントロールしていれば問題はないのですが、少しでも手が緩むと節度使は勝手に動きます。

その好例が『安史の乱』を起こした安禄山(あんろくざん)です。


じつは、趙匡胤は以前は節度使でした。

したがって、節度使の危険性と弱みを知っていました。

それを駆使して、節度使を単なる名誉職にしてしまいました。

国内で反乱が起きる芽は摘めたのですが、その代わり、北宋の軍事力は周辺諸国に比べて、相対的に低下してしまいました。

まさに『痛し痒し』です。


かつての日本では、天皇が全ての軍隊の最高司令官でした。

内閣総理大臣といえども、天皇の許しなくして、一兵も動かせませんでした。

これは、明治維新以前は軍事権を幕府、つまり武士に握られてしまった教訓から、大日本帝国憲法の創案者によって規定されたと私は考えています。

しかし、これが後に日本を史上最悪の惨禍に巻き込むとは、考えもできなかったのでしょう。


その教訓により、現在の日本国憲法では、総理大臣が防衛大臣を通じて、自衛隊の最高司令官です。

日本でも『文民統制』が整ったのですが、これを円滑に機能させるには、まずは総理大臣、防衛大臣の力量ひとつです。

はたして、、、、。
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2008年10月17日

前途にある『暗雲』

我々が何気なく使っていることばに『天下り』があります。

いわゆる『高級官僚』(高給官僚?)の再就職です。

あらためて考えてみると、非常に国民をバカにしたことばです。


誰が最初に使ったかはわかりません。

まさか、当人(高級官僚)とは思えませんが。

最初に使った人は、高級官僚が一般国民よりもエライと思っていたのでしょうか。

または、高級官僚自身が一般国民よりもエライと思っていることを皮肉ったのかも知れません。


普通の人よりエライ階層の人たちを『雲上人(うんじょうびと)』と呼ぶ場合があります。

まさに『雲の上の人』です。


一昨日、帰宅してからNHKの『クローズアップ現代』を見ると、『クラウド・コンピュータ』について解説していました。

『クラウド』とは雲です。

『ブラック・クラウド』となれば、黒雲です。


この場合の『クラウド』は『インターネット』をさしています。

現在のコンピュータシステムは、企業、個人の利用者の近くにコンピュータがあり、それ自体にソフトウェアを内臓しています。

そのソフトウェアを使って、利用者がデータを作ったり、作ったデータをインターネットを経由して、先方へ送ります。

インターネットを経由して受け取ったデータを利用者が加工して使うこともできます。

もし、インターネットが使えなくなれば、現代では非常な打撃ですが、自分自身で手に入るデータを使って処理はできます。


『一極集中』の世界では、利用者の手元にはソフトウェア、データがなく、『クラウド・コンピュータ』に依存します。

私は、すべてを『クラウド・コンピュータ』に頼る『一極集中』と考えています。


このような形態は、『クラウド・コンピュータ』が最初ではありません。

コンピュータが一般社会に普及しはじめた30年前は『ホスト・コンピュータ』と呼ばれる、やはり『一極集中』でした。


それが『ダウン・サイジング』の掛け声とともに、『地方分散』に変ってきました。

しかし、『歴史は繰り返す』の諺通りに、また『一極集中』に戻りました。

ただし、30年前とのちがいは、『一極集中』の範囲が企業でなく、社会全体に変ったことです。


ですから、『一極集中』が何らかの原因で使えなくなったならば、社会への打撃は想像もできないでしょう。

それは『ハッカー』『サイバー・テロリスト』には、狂気乱舞したくなる攻撃目標の登場です。

おそらく、今から腕によりをかけた武器を作っているでしょう。


映画『ターミネータ1』は、主人公のサラ・コナーが暗雲たちこめる先へ向う場面が最後です。

『クラウド・コンピュータ』が『暗雲』にならなければよいのですが。
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2008年10月16日

蕎麦屋の品書き総なめ大作戦!

一昨日は雨、その前は秋晴れ、昨日、本日は秋晴れです。

この秋晴れが、いつまでも続けばいいのですが、それでは人間がだらけてしまいます。

天候にも、つらさ、厳しさが必要です。



最近、恵比寿駅周辺を歩くと、あちらこちらに『例大祭 恵比寿神社』『べったら市 恵比寿神社』の旗がたっています。

『べったら市』をネットで検索すると、日本橋の宝田恵比寿神社で10月19日、20日に行なわれます。

台東区のある神社の年末風景が頭に浮かんだのですが、東京に住んでいながら、お恥ずかしい次第です。



私は食べ物の好き嫌いはないのですが、それでも自分からは手を出さないものがあります。

他人から出されたり、ごちそうになれば、食べるのですが、自分で金を払うとなると、絶対に注文しないというものは、皆様にもあるでしょう。

よく、品数がたくさんある飲み屋へ行っても、選ぶのが面倒くさくなり、ついつい同じものを注文してしまいます。

蕎麦屋へ行くと、品書きが壁にズラリと貼ってあります。

あれを左から、または右から毎回違うものを注文して、その店の品を全て食べてみようと思ったことはありません。

まあ、普通の人は、そんなことに挑戦しようとは思わないでしょう。


しかし、いるとすれば、候補者が一人います。

それは漫画家の東海林さだお氏です。

氏は漫画家だけでなく、食のエッセストとして『知る人ぞ知る』有名人です。

こういう『快挙』(または愚挙)は、プレッシャーがないとできないものです。

そのプレッシャーとは、出版社の担当者の原稿締め切り督促です。


小説家は『小説の題材を取材するため』と称して、あちらこちらを旅行します。

当然ながら、費用は出版社の負担です。

逆に言えば、それが出版社には原稿督促の武器になるかも知れません。

もっとも、何年も前に取材旅行に行きながら、1行も書いていないという『コケ』が生えた小説家がいるそうですから、出版社も楽ではありません。


かなり、話がずれてしまいました。

つまり、私は『べったら漬け』というベタベタして、甘ったるい漬物は自分からは手を出しません。

もちろん、よそ様が金を出して買ってくれれば、別ですが。
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2008年10月15日

お粗末!報道テロ?

一時は「世界大恐慌の再来か」と思わせましたが、なんとか持ち直しているようです。

しかし、『秋の空』と同じで、明日はどうなるかはわかりません。

神様でもわからないでしょう。


世界大恐慌といえば、79年前の1929年10月24日、やはりニューヨークが発生源でした。

その日は木曜日であったため、『暗黒の木曜日』といわれています。

その2年前ですが、日本の大蔵大臣が議会で失言をしました。

『まだ』破綻していないのに「W銀行が破綻しました」と答弁してしまいました。

大蔵大臣は訂正して陳謝しましたが、時すでに遅しでした。

当時の日本は、第一次世界大戦後の不景気、そして関東大震災による被害で経済が混乱していました。

大蔵大臣の失言は、W銀行だけでなく、他の銀行にも波及しました。


以前、ある地方で銀行の『取り付け騒ぎ』が起きました。

ある女性の何気ない一言が巻き起こしたのですが、80年前は『何気ない』ではすまなかったのです。

なにしろ、大蔵大臣の口から出たことですから、現在とは違って重みがあったのでしょう。

まさに『綸言、汗のごとし』です。


10月10日、某テレビ局のニュース字幕で『Y生命』とすべき部分を『Y証券』としてしまいました。

当然ながら、顧客から問い合わせが殺到したそうですが、『風評被害』には至らなかったようです。

ネットでは「これは某テレビ局の報道テロ」「こんなの気がつかないわけがない。あり得ない間違い」という声がありました。

そのテレビ局は、反権力を売り物にしていますが、これでは自分の首を自分で締めていると同じです。


かつて『Y銀行』がありましたが、銀行名を早く変えておいて、よかったですね。
posted by 陳澤民 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

縁結びの神、あらわる!

『秋』という季節の名称の前につけることばは、いろいろあります。

思いつくままにあげてみますと、『食欲』『読書』『文化』『スポーツ』です。

それから『運動会』も忘れられません。

最近は、なぜか夏休み前に運動会を行う学校が多いようです。

いろいろとご都合がおありなのでしょうが、日本の正しい運動会は、誰がなんといっても『秋』です。

運動会の昼食は、以前は校庭で家族といっしょでしたが、最近は児童は校舎の中で、家族とは別に食べるようです。

なんとも興ざめで、日本の『運動会文化』を破壊する愚挙であります。

これも『モンスターペアレント』の跋扈の影響でしょうか。


運動会で見られる光景のひとつが、保護者同士の語らいです。

ごく一般的ですが、女性、つまり母親は、すぐ打ち解けて話の輪に参加できるようです。

ところが、男性、つまり父親は、それができないようです。

特に都市部の住宅地、団地で最近に移転したきた人は、話の輪にはなかなか参加できません。

父親同士で話に花が咲いている場合は、地元で生まれ、育ち、祖父母、親の世代から、その学校に通ったという人たちです。

現在、私は東京23区の西のはずれに住んでいますが、それまでは東、つまり墨田区に住んでいました。

息子は5年生の秋まで自宅近くの小学校に通っていました。

妻は、すぐ同級生の母親たちと仲良くなりました。

私も、子と妻の縁で、数人ですが同級生の母親と話ができました。


昨日(10月13日)、台湾・高雄に本山がある仏教教団の東京会館に行ってきました。

妻を通じて、私と同年代の男性(日本人です)から声をかけられました。

この会館に来る日本人の『信者』の会を作るので、参加してほしいとの依頼でした。

台湾人の女性は同国人に会えて、いろいろと話ができるのですが、多くは妻に連れられてきた日本人の男性(私を含めて)は、なんとも手持ち無沙汰にしています。

なかなか、話しかけるタイミングが見つからないこともあります。

その人の話によれば、来月にその会を立ち上げるそうです。

せっかく来たのですから、そういう機会にいい縁を結ぶためのきっかけとして育てたいものです。
posted by 陳澤民 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

嘘は神代の昔から

本日は実にすばらしい秋晴れでした。

妻と一緒に、台湾・高雄に本山がある仏教教団の東京会館に行ってきました。

本日は旧暦の9月15日であり、その法会があったのです。

いつものように、経典を中国語読みで唱えてきました。

その経典を見ていると、何ヶ所か興味深い点がありました。


ある経典に『、、、菩薩摩訶、、、』があります。

今年の『篤姫』ブームで盛り上がっている鹿児島は、旧国名では『薩摩』です。

厳密に言えば、鹿児島県の西部が『薩摩』で東部は『大隈』ですが、県の全体を『薩摩』とよんでいるようです。

『摩訶』は『摩訶不思議(まかふしぎ)』に使われます。

なぜ、『薩摩』という呼び名ができたのか、それが疑問です。


『、、、多摩、、、』があります。

この文字を見ると、東京都西部の、いわゆる『多摩地区』を思い浮かべます。

単なる偶然でしょうか。


最後は、きわめつけです。

『両舌』があったのです。

この前後に『殺』『盗』があります。

つまり、人間として犯してはならない行為です。

『両舌』とは『嘘をつくこと』でしょう。

日本語では『二枚舌』ですが、まさにその通りです。

ただ、この『両舌』がインドの経典にあったのか、漢訳されたときに、この表現になったのかは、わかりません。

お釈迦様の時代から、いやもっと前から、人間と嘘は切っても切れない縁があったのですね。
posted by 陳澤民 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月12日

元妻が待っていたのか?

私には血のつながった姪が一人います。

私の姉の娘です。

その姪の娘が今年、小学校に入学しました。

その祝いとして5000円を進呈しました。

姪の一家は、私の故郷から自動車で30分の距離に住んでいます。

今年の正月に渡す予定でしたが、私が都合で故郷へ帰れなかったので、8月の旧盆の墓参りで帰郷した時に姉に託しました。

私が忘れていた先月末、姪から自宅へ電話があり、「祝いをいただいて、うれしかった」と礼をいわれました。

ごくごく常識的な額であれば、多少には関係なく、「覚えていてくれた」がうれしいものなのでしょう。


さて、昨日(10月11日)の驚きのニュースは、アメリカ本土へ移送された『元社長』の自殺です。

再逮捕されたニュースも驚きましたが、今回はそれ以上です。

あるメールマガジンの記事によれば、『元社長』の母方の叔母の一人に俳優がいます。

かつてNHKの人気番組であった『ジェスチャー』の女性チームのリーダです。

小学生当時、その叔母の家へ遊びに行くと、俳優仲間がきていて、多額なお年玉をくれました。

その額が30万から40万になったそうです。

現在でも、それだけのお年玉は驚きですが、半世紀前の大学卒の初任給が約1〜2万円の当時では巨額といっていい額です。

本人も、後に「嬉しかったけど、大人を見くびることにはなったよね。どうしても(心が)歪むだろうね」と語っています。


それにしても、なぜ自殺したのか、なぜロサンゼルスで、という疑問があります。

そのメールマガジンでは、27年前の銃撃事件の元妻の霊が成仏できず、移送されてきた元夫をあの世に連れていったと書いています。

あの事件が『ロスで始まり、ロスで終わった』かどうかはわかりませんが、なんとなく、これで幕引きになりそうです。

元妻の遺族には、やりきれない結末でしょう。
posted by 陳澤民 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月11日

台湾にもいた? 水戸黄門?

昨日(10月10日)、日本の生命保険会社のY生命が経営破綻しました。

『Y』は日本の古名、または別名です。

私は縁起をかつぐ習慣はありませんが、どうみてもうれしいニュースではありません。


気を取り直して、本日はまったく関係ない話を一席いたします。

本日は出勤であるため、新宿から山手線に乗りました。

ふと、中吊り広告を見ると、どこかで見た顔がありました。

よく見ると里見浩太郎扮する黄門様です。

つまり、また新シリーズが始まるのです。

始まって何十年にもなりますから、同じ役名に演ずる役者が何人も変っています。

黄門様、助さん、格さんは、はたして何代目になるのかと考えるほどです。

しかし、『うっかり八兵衛』は、高橋元太郎が第2部から第30部まで、ほとんど休まず登場しています。

出演回数は歴代レギュラー出演者では第1位の868話だそうです。



ところで、あの『水戸黄門漫遊記』は完全なフィクションです。

水戸黄門のモデルとなった徳川光圀は、江戸と水戸の往復、隠居してからは水戸と西山荘のある常陸太田の往復以外の地は行っていないはずです。

御三家の当主、隠居が全国各地をあちこちと行くことは、幕府から見れば極めて警戒すべきことであったでしょう。

「幕府打倒の陰謀を相談するのか」と邪推するかも知れません。



随分と昔ですが、台湾でも水戸黄門から題材を得たのではないかというテレビドラマがありました。

その主人公は『嘉慶君』(かけいくん)です。

清朝の最盛期の皇帝は乾隆帝(けんりゅうてい)ですが、嘉慶君は乾隆帝の皇子です。

乾隆帝は在位60年で、息子の嘉慶君に帝位を譲りましたが、死ぬまで実権は手放しませんでした。

その有様は徳川十一代将軍・家斉と家慶との関係そっくりです。

ご参考までに申し上げると、篤姫の夫・家定は家斉の孫にあたります。



嘉慶君が若いころに、台湾を訪れたという伝説があります。

脚本家か演出家が、その伝説と『水戸黄門漫遊記』を結び付けたのかも知れません。

テレビドラマでは、嘉慶君は武道の達人で自分自身で身を守るには十分ですが、さらに二人の武道の達人を護衛につけています。

台湾版の助さん、格さんです。

したがって、向かうところ敵なしで、これが本当の『鬼に金棒』です。

嘉慶君は当時の台湾に跋扈する悪を退治していくのですが、黄門様のように最後に『葵の印籠』を出して、悪人を平伏させることはしません。

名を出さず、木枯らし紋次郎のように飄然と去って行きます。

これが台湾の視聴者には受けたのかも知れません。



『嘉慶君』が放映された当時は、国民党政権の時代でした。

嘉慶君に退治される『悪』が、はたして何をあらわしていたかは、わかりません。

国民党も、『嘉慶君』を放映禁止にするほど、愚かではなかったようです。



日本では連続ドラマは、毎週のある曜日に放送しますが、台湾では(私が知っている時代は)毎日の同じ時刻からの放送です。

一般の台湾のパッケージ旅行は3泊4日が多いようですから、滞在中でも少しは楽しめるでしょう。
posted by 陳澤民 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月10日

『双十節』の思い出

国家、企業も人間と同様に『誕生日』があります。

国家は『建国記念日』、企業は『創立記念日』という呼び方が多いようです。

『建国記念日』は、はるか昔の神話に基づくものと歴史的な事実に基づくものに分けられると、私は考えます。

日本の『建国記念の日』は前者であり、アメリカの『独立記念日』は後者です。

日本のすぐ近くで、偶然にも10月に『建国記念日』がある国があります。

中国の10月1日、台湾(中華民国)の10月10日です。

どちらも正式には『国慶節』ですが、台湾は別名の『双十節』がよく知られています。

中国は1949年10月1日、『偉大的領袖』毛澤東が『中華人民共和国、今天、成立了』と宣言しました。

文字通りの『建国宣言』です。

台湾の場合は少し事情が異なります。

1911年10月10日、長江中流域の武漢で革命派の影響を受けた軍隊が清朝に蜂起した日です。

まだこの時点では中華民国は成立していません。

これがきっかけとなり、各省が清朝から独立しました。

各省の代表者が集まって、中華民国が成立し、臨時総統に孫文が就任しました。

1912年1月1日、この日が中華民国の『建国記念日』です。

現在の台湾では西暦も通常に使われていますが、公文書では『中華民国●●年』と表記します。


私の記憶では『双十節』には軍事パレードが行われました。

70周年ですから、1981年と記憶していますが、式典の模様が台北からテレビ中継されました。

この時の将兵が行進する光景は、いまだに覚えています。

この中継を行った日本のテレビ局は、当時は『右寄り』と見られていましたが、その後は『右へならえ』で『左寄り』になりました。

『双十節』が日本へのテレビ中継は、あの時が最初で最後であったでしょう。


『双十節』を快く思わない台湾人がいます。

それは『中華民国』を『外来政権』つまりよそ者の政権と見ているのでしょう。

これからどうなるかは、わかりませんが、少なくとも10月1日に『国慶節』を祝う事態にはなってほしくありません。
posted by 陳澤民 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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