2008年11月20日

反乱に失敗した大将の行く末は

さて、来年の大河ドラマは『天地人』で、上杉家の筆頭家老・直江兼続が主人公です。

戦国時代が大河ドラマの舞台になるのは何回目になるか見当もつきません。

それだけ、あの時代は人間が人間として生き、人間の行動の全てが現われたといわれています。

中国史でいえば『三国志』の時代に相当するかも知れません。

俗説では、直江兼継と石田三成が事前に家康打倒の同盟を結んでいたといわれています。

家康が上杉討伐に向かった隙に三成が兵を挙げる、家康が反転して背をむけた時に、上杉軍が背後から攻撃するという戦略であったようです。

司馬良遼太郎の『関が原』では、上杉の隣国の伊達が牽制したため、家康は難を逃れた場面が描かれています。



戦国時代に登場した武将では、天下を取った人物はもちろんですが、天下を取れず、しかも滅びざるを得なかった人物が映画、ドラマ、小説の題材になるようです。

大河ドラマでも、謙信より信玄が主人公としても、脇役としても出番が多いようにおもいますが、いかがでしょうか。

当時の戦国大名は大きな作戦には自ら出陣していて指揮をとっていました。

信玄は、戦闘が始まると第一線の指揮官に一切を委ねていたといわれています。

戦闘が始まると、信玄と幕僚は戦場の方角を向いて、身じろぎもしなかったそうです。



さて、2000年(平成12年)11月20日、『Kの乱』が失敗しました。

自民党の元幹事長のKが不人気のM内閣打倒を企てましたが、あっけなく降参したのです。

反乱末期、彼は自ら『戦場』に出ようとしましたが、同士の一人に羽交い絞めされました。

「あんたは大将なのだから、出てはいけない」と言われている光景はまだ記憶にあります。

まあ、失敗すべくして失敗したといえるでしょう。



Kは、かつては『YKK』の一人として、次期総理候補といわれました。

しかし、この反乱の失敗で晩節を汚したといわれています。

ライバルの『Y』は女性問題で落選したこともあります。

もうひとりのKは、ある女性から『変人』と評されましたが、念願かなって総理大臣になりました。

当初は圧倒的な人気でした(なにぶんにも、あのMの後でしたから)。



『毀誉褒貶』という言葉があります。

読むは難しく、書くはさらに難しい言葉です。

もうひとりのKは、何が『毀誉』で何が『褒貶』なのでしょうか。

人の一生は棺を覆って定まるといわれています。

覆う前に定まったという人もいます。
posted by 陳澤民 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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