2008年11月15日

親と子の名前、中国式から日本式へ?

今週はじめ夜のニュースに『現代の名工が選ばれた』が出ました。

最初に中国四川料理の陳建一氏が紹介されました。

陳建一氏は、日本に初めて四川料理を紹介したといわれる陳建民の子息です。

『陳建民』と聞くと、すぐ『ケンミンの焼き●ーフ●』を連想してしまいますが、これは考えすぎでしょうか。

この記事を書いていて気がついたのですが、『建一』は一発で変換できましたが、『建民』は『けんみん』を入力しても『県民』しかでませんでした。

察するに『建一』は日本式の名前なのでしょう。

父と子の名の違いに、この一家が中国から日本へと生活の拠点を移していった歴史がこめられているように、私は感じました。


台湾へ行くと、街角では人名が記された看板が目につきます。

それを見て、氏名の最後が『雄』であるのは、親が子に日本式の名前をつけたのだろうと、これは私の独断ですが、そう思っています。

在日の台湾人で、黄文雄という評論家がいます。

この人は、葉に衣を着せぬ中国批判が、一部の人には有名です。



ずいぶんと昔ですが、蒋経国が行政院長(日本では首相に相当)時代にアメリカを訪問しました。

蒋経国は蒋介石の長男で、李登輝の前の総統です。

アメリカのある都市で、在米台湾人に狙撃されました。

命には別状ありませんでしたが、これがきっかけで蒋経国は台湾の『台湾化』を考えたといわれています。

台湾人の李登輝に指名したには、これが要因かも知れません。

その狙撃犯の氏名が黄文雄ですが、先ほどの評論家の黄文雄とは同名異人です。

現在でも、よく間違われるようです。



かつて黄信介という反国民党の政治家が台湾にいました。

名の信介は、岸信介から頂戴したようです。

岸信介は1960年の日米安保改定時の総理大臣で、野党や反政府勢力から目のかたきにされました。

しかし黄信介は岸信介に心酔し、改名したといわれています。



ちなみに、岸信介の次の総理大臣が池田勇人です。

この人がぶち上げた『所得倍増論』から戦後の高度経済成長が始まりました。

池田勇人も『失言』で歴史に名を残しています。

通産大臣当時の1952年(昭和27年)11月27日、衆議院本会議で、野党の質問に対しての答弁が問題になりました。

その答弁とは、以下のとおりです。

   正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合
   において、それが倒産して、また倒産から思い余って自殺す
   るようなことがあっても、お気の毒でございますが、止むを
   得ないということははっきり申し上げます。

新聞には『中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない』と報道されました。

これが原因で2日後に大臣を辞任しています。

ところで『正常な経済原則によらぬこと』には、食品の産地偽装も含まれるのでしょうか。
posted by 陳澤民 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。