2008年08月31日

集中豪雨の日本に『帰国』した一人の若者

本日の昼間は久しぶりに暑くなりましたが、夜は雨が降り出しました。

旧盆明けから、どれだけの雨が降ったでしょうか。

しかし、ニュースでは四国は水不足です。

四国の水不足のニュースでは、必ず登場する早明浦(さめうら)ダムの生活用水の貯水率がゼロ%になりました。

それでも、発電用の水が2600万トンあるため、それを使って何とかしのぐそうです。

原因はわかりませんが、雨が多すぎる地域と足りなさ過ぎる地域の差が極端です。

どれほど、文明が進歩しても、人間が必要とする水の多くは『天からのもらい水』、つまり雨に頼っています。

水という物資は、運ぶのに最も手間、金がかかります。

石油、天然ガスのようにパイプラインを敷設して運ぶとコストに大きく跳ね返るのでしょう。

しかし、そんなことを言っていられない時代が来るかも知れません。



昔の漫才のギャグに『小さな親切、大きなお世話』がありました。

こちらが親切、善意で行なっても、相手からみれば『迷惑』を端的にあらわしています。

国、民族が異なり、そして政治的立場がちがえば、迷惑を通り越して、『敵対行為』になります。

今回のアフガニスタンで起きたNGO団体の職員が殺された事件は、まさにそれです。

その人は、農業指導のために現地で活躍していましたが、その地のゲリラ、反政府、反米の組織から見れば、敵以外の何者でもないのでしょう。

まだ31歳の若さで、異国に死すとは、なんともいいようがないことです。

善意だけでは我が身を守れない、紛争地域では覚悟しなければならないことです。
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2008年08月30日

懲りない『お姫さま』

人間に限らず、動物の世界では離合集散が常にあります。

特に政界という魑魅魍魎(手書きでは絶対に書けません)が跋扈する世界では日常茶飯事です。

したがって、政党から他の政党へ、派閥から他の派閥への移動もよくあります。


第二次世界大戦で、イギリスを勝利に導いたウィンストン・チャーチルは、それについてこう言っています。

    他の党から私の党に来る者は英雄である。

    しかし私の党から他の党へ行く者は裏切り者である。


裏切り者について書かれた推理小説があります。

ある精密機器メーカーの研究所につとめる30歳代中ばの男がいました。

その男は研究成果に乏しいため、地位、給与が上がらず、常に不満を持っていました。

競争相手のメーカーは、その男の不満を煽って、研究内容を盗み出させました。

それが明るみにでて、その男は辞職せざるをえなくなります。

その男は競争相手のメーカーに貢献したのですが、そのメーカーはその男を入社させませんでした。

「スパイをするような人間は信用できない」が、その理由です。


チンギス・ハーンについても同じような話があります。

彼が、まだテムジンといっていた時代、かつての盟友と戦い、勝利しました。

その元盟友は、わずかな従者と草原をさまよいました。

従者らは主人を縛って、テムジンに差し出しました。

それを見たテムジンは、従者らを処刑しました。

わけを聞いた側近に、テムジンは「主人を裏切るやつは信用できない」と答えました。


昨今の民主党の離党議員を見て、以上の話を思い出しました。

特に『お姫さま』議員は、離党を表明してから、それを撤回するという無節操ぶりです。

2500年前、古人は「過ちを改めるに、はばかることなし」とおっしゃていますが、そのためには普段の言動が重要です。

国会での論戦よりも、ワイドショーの常連となっては、なにをかいわんやです。


次の選挙では、あの議員を選んだ選挙区の有権者の質、レベルが問われるでしょう。
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2008年08月29日

我が家に『Vista』がやってきた!

昨日の東京郊外、多摩の山間部、そして各地で『この世の雨の降りおさめ』かと思えるほどの大量かつ集中的な豪雨がありました。

新宿を起点とする京王線の終点のひとつが高尾山口です。

高尾山駅の構内で山肌が崩れて線路を埋めてしまい、回送電車が土砂に乗り上げて脱線しました。

そのため、今朝は一部区間が運休でした。

それ以外の線区は通勤、通学には支障はありませんでした。



昨日の23時に息子が北関東の自衛隊駐屯地から帰ってきました。

30日まで休みの予定でしたが、今朝の6時、駐屯地から呼び出しの電話があり、息子は戻りました。

駐屯地から我が家までは片道3時間です。

したがって、往復6時間、我が家の在宅は7時間でした。

7時のニュースでは、駐屯地がある市内を流れる川が溢れましたが、災害救助出動が必要な被害ではありません。

おそらく、他府県、他地方への災害救助出動に備えるのでしょう。


ある人が警察、海上保安庁、消防、自衛隊の採用試験を受けて、合格するかどうかは『趣味』が大きく関わるそうです。

その人の趣味が『外国旅行』『アウトドア』『遠洋ヨット航海』では、不合格でしょう。

もし、『囲碁、将棋』『読書』『盆栽』のように自宅内でできる趣味であれば、まず合格間違いなしです。

つまり、招集をかけて、すぐ駆けつけられなければ役に立たないからです。


息子の趣味は『ゲーム』です。

もちろん、それだけで合格したとは、親としては思いたくはありません。


さて、昨日我が家にWindows Vista搭載のパソコンが到着しました。

すでに購入済みのシャープの液晶テレビをモニタとして使います。

これを使用するのは、妻です。

普通のモニタでは字が小さいというので、大型の液晶テレビを以前に買いました。

パソコンのインストールは20分で完了しました。

まだ、インターネットにはつながりません。

これで、我が家には2台のパソコンが鎮座することになりました。

その2台のパソコンを同時にインターネットとつなげるためのハードの準備、ソフトウェアの設定が、次の課題です。

無線LANを使おうかと考えていますが、その結果は後で報告します。
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2008年08月28日

ケニアの青年に教えられた『我慢』『がまん』そして『ガマン』

随分と以前ですが、北関東の太平洋岸のある工業都市(となれば、茨城県の日立市です)に、しばらく長期出張しました。

当時は独身で、千葉県の松戸に住んでいました。

松戸から日立までは常磐線で乗り換えなしです。

余談ですが、『二十一世紀梨』の生まれ故郷は松戸です。


ホテルに泊まると費用がかさみますから、顧客の寮の空き部屋を借りました。

その寮は、太平洋に面した海岸を見下ろす高台にありました。

したがって、1年365日、1日24時間、休み無く波の音が聞こえます。

私は神経が図太いのか、それとも鈍いのか、最初の夜から良く眠れました。

ついぞ、睡眠不足にはなりませんでした。

人によりけりですが、波の音は、母親の胎内の海の中に揺られていた時の思い出かも知れません。

生まれた時から、波の音を聞いて育った人は、内陸へ行くと聞こえませんから、かえって不眠症になるのでしょうか。


昔ですが、ある地方の市役所に「蛙の声がうるさい。これは公害だ。なんとかしろ」とクレームをつけた人がいました。

現在の『モンスター市民』のご先祖です。


同じ音でも、人によって快適か不快か分かれます。

最近の好例は、電車内のイヤホンから漏れる音です。


楽器のヴィオリンは、弾く人の技量と場所によって、音楽か騒音かが決まります。

世界的なヴィオリニストが音響効果のすぐれた会場で弾くならば、聴衆をうっとりさせるでしょう。

しかし、サザエさんの夫のフグタマスオ氏が弾くと、鋸の目立てと勘違いされ、近所の顰蹙をかうこと必定です。


1974年8月28日、神奈川県湘南地方の平塚市の団地で、母子3人が階上の住人により刺殺されました。

原因は「ピアノの音がうるさい」でした。

世に言う『ピアノ騒音殺人事件』です。

当時の家庭用クーラーの普及率はわかりませんが、夏ですから窓を閉めることができず、ピアノの音が直接、加害者の部屋に侵入したのでしょう。

現在の言葉では『キレタ』のでしょう。

被害者は、まさかピアノの音が騒音になるとは考えもしなかったかも知れません。

この事件は団地だから起きたとはいえません。

人口が過密な大都市では、どこでも起こります。


やがて、日本の人口は減少するそうでうから、それまで我慢しなければならないでしょうか。

それとも、北海道の道北の原野の真ん中に引っ越しましょうか。
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2008年08月27日

来なかった?『美女応援団』、北朝鮮版『ジェリコの壁』

毎朝、ニュースを見るため、テレビをつけると殆どのチャンネルが『北京オリンピック』であった3週間が終わりました。

私は、殆どのオリンピック関連ニュースを見ていないので、断言はできませんが、ニュースに登場しない人々がいます。

それは北朝鮮の『美女応援団』です。

『なぜ北京に”美女応援団”は来なかったのか』という見出しの記事を、韓国の有力紙『朝鮮日報』が報じています。

以前、釜山で開催されたアジア大会に北朝鮮は270人の『美女応援団』を投入しました。

その美女の色香に迷ったのか、韓国人男性の『パパラッチ』『おっかけ』が多数発生する騒ぎが起きました。

朝鮮半島には『男は南、女は北』のことわざがあるそうです。

この騒ぎを『南の女』はどう思ったのでしょう。

『南の男』の女を見る眼がないことを軽蔑したでしょうか、「男はそんなものよ」と達観したでしょうか。


今回の北京オリンピックにも『美女応援団』が来るという噂はあったそうです。

しかし、一人も来なかったのです(たぶん)。

この原因を『朝鮮日報』の記者が分析しました。

アジア大会から帰国した美女たちが、豊かな韓国の姿を周りの人々に話したことが北朝鮮当局の逆鱗にふれたと結論づけています。

韓国に派遣される前、美女たちは「韓国で見たことは口外しない」という誓約書に署名しました。


彼女たちが北朝鮮で教えられた韓国を実際の姿があまりに違って見えたのでしょう。

それを話すなと言われても、女性の口に戸は立てられません。

サザエさんは、5分以上話をしないと、口がむずむずしてきます。

270人の美女たちも同じであったかも知れません。

ただし、北朝鮮国内には、国民の行動を監視する網が縦横無尽に張り巡らされているそうです。


270人の女性の口から出た情報が、1ヶ月でどれだけの人に伝わったかはわかりません。

はたして、現在の北朝鮮の支配体制を揺るがせるほどの威力があるかも、もちろんわかりません。

たとえ、韓国の実情を話したのが、わずか1人で、他の269人が口を閉ざしていても、独裁体制の上層部の人には脅威なのでしょう。


聖書に『ジェリコの壁』という話があります。

預言者モーゼの後継者のヨシュアがジェリコの町を占領しようとしますが、攻め落とせません。

それでヨシュアは、イスラエルの民に『契約の箱』を担がせ、7日間ジェリコの城壁の周りを廻らました。

そして一斉に角笛を吹くと、その巨大なジェリコの城壁が崩れたといわれています。

事実であれば、世界最初の『音波兵器』の登場です。


はたして、美女の口は独裁体制の壁を崩せるでしょうか。
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2008年08月26日

求む! 国家の病気の直し方

「病気にかからず、健康で長生きしたい」は、人間の永遠の願いです。

その願いは、なかなか叶えられません。

文明が進むほど、なぜか新しい病気が出現します。

文明によって撲滅したはずの病気までが復活しています。

結核、天然痘などが復活した病気です。


病気は人間だけでなく、国家をも襲います。

日本語では『病』の前に国名をつけると、その国家は病気にかかっていることをあらわします。

かつては『イギリス病』がありました。

19世紀には『陽が没することなき大英帝国』でしたが、第一次世界大戦で、まず基礎が揺るぎました。

第二次大戦後は、アメリカ、ソ連に世界の派遣を奪われました。


19世紀に、『瀕死の重病人』といわれる帝国がありました。

かつては、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸にまたがる領土をもっていたオスマン・トルコ帝国です。

その『瀕死の重病人』に群がって、病状を更に悪化させた国の中にイギリスがありました。

やがて、自分自身が病人になってしまったのです。


病気を直す方法として、薬、手術がありますが、肝心なのは自分自身の体の改善です。

しかし、『言うは易し、行うは難し』です。


国家の病気の治療は、さらに困難です。

『総論賛成、各論反対』となり、立ち往生してしまうことが珍しくありません。


1980年代、そのイギリスに『鉄の女』が登場しました。

彼女は、改革に抵抗する勢力を叩き潰し、イギリスを不治の病から救ったといわれています。


しかし、『鉄の女』も加齢には勝てません。

あるニュースによれば、彼女は『痴呆症』にかかり、記憶力が減退しています。

夫が亡くなったこともわかっていないようです。

彼女は、現在82歳です。


同時代のアメリカに、俳優出身の大統領がいました。

強いアメリカをスローガンとして、ついにソ連との冷戦に打ち勝ちました。

その強い大統領も、晩年には『アルツハイマー病』となりました。

2004年6月、93歳で死去しました。


『痴呆症』、『アルツハイマー病』のどちらにも、かかりたくはありませんが、こればかりは「かからないぞ」と意気込んでも、どうにもなりません。


さて、『イギリス病』の次は『日本病』ですが、こちらには名医はいるのでしょうか?
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2008年08月25日

百円札の終焉の日

東京23区の西南部に『世田谷区』があります。

この区より面積が大きい区はほかにありますが、人口は23区で第一位です。

日本の47都道府県で最も人口が少ない県よりも多く、82万人です。

(もちろん、多ければいいというものでは、ございません)

「それならば、県として独立したらどうか」といわれそうですが、残念ながら経済的な問題で不可能でしょう。

たしかに、世田谷区は資産家が多いといわれていますが、それだけでは県として自立するだけの税収がありません。

基本的には住宅、商業地域ですから、有力な企業、工場がなく、固定資産税があてにできません。

その代わり、有名俳優、小説家が多く住んでおり、『文化』のイメージがあります。

世田谷区のある地に『世田谷区文学館』があります。



本年8月から9月にかけて、『宮脇俊三展』が開催されています。

ほとんどの人は、知らない名前でしょう。

鉄道ファンであれば神様のような存在ですが、惜しむらくは5年前に死去しました。

昭和53年、当時の国鉄全線を走破し、その体験を『時刻表2万キロ』という書名で出版しました。

それ以来、『乗りつぶし』が流行し、ついに国鉄も便乗しました。

宮脇氏は某出版社の取締役でしたが、『時刻表2万キロ』の出版元は他社であったため、ケジメをつけて退社しました。

それ以来、氏は『紀行作家』として国内だけでなく、国外の鉄道にも挑戦しました。



アフリカの某国での紀行文の中で、「この国は小額通貨は硬貨でなく、紙幣である」と書いています。

ここでいう小額通貨とは、日本でいえば1円、5円、10円で、いうまでもなく日本では硬貨です。

その国は、それらを硬貨でなく紙幣として発行しているのです。

推測するに、紙幣は硬貨より原価が大きく違うのでしょう。

「この国の小額紙幣は、手垢と汚れでボロポロになっている。日本では『すみません』と言わなければ渡せない」と氏は書いています。



1966年8月26日、百円札を廃止して新硬貨に切り換えることを閣議で決定しました。

ご承知のとおり、現在は500円以下は全て硬貨です。

それまでは百円紙幣があったのです。

私も記憶の片隅に残っています。

高校時代の英語の参考書に、慣用句の言い方として、以下の例文がありました。

   最近は100円玉も使いでがなくなったね。

   ラーメン食べて、コーヒーを飲めば消えてしまうから。

現在の東京では、1000円あっても足らないかも知れません。

『ワン・コイン』といえば、現在では500円です。

もはや、100円以下の硬貨は『コイン』の仲間に入れてもらえないのです。
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2008年08月24日

なぜか、チキンラーメンから西田敏行へ

今日の東京は朝から雨で、肌寒い陽気です。

9日前の15日の猛暑は、なんだったのでしょうか。

日曜日に雨が降ると、思い出すコマーシャルソングがあります。

   雨が降ってる日曜日。

   坊や、どろんこ、なぜ泣くの?

   あそこの角で転んだの。

   どうして、そんなに急いだの?

   ●●即席ラーメン、パパと一緒に食べたいの。

●●は星の名前です。

ずいぶんと以前ですが、当時は『即席ラーメン』と呼んでいました。


同じメーカーではありませんが、1958年8月25日、『チキンラーメン』が発売されました。

それまでの『支那そば』『中華そば』にかわり、『ラーメン』という名が全国に広がったといわれています。

総業者でもある考案者は、家庭の天ぷらの製法から『チキンラーメン』のヒントを得たそうです。


この原理は、かつての日本にあった『干飯(ほしいい)』と同じです。

いわゆるでんぷんの『アルファ化』ですが、我らのご先祖様は、そういう原理は知らなくても、長期保存の方法をご存知でした。


焼きおにぎりは、短期保存版かも知れません。

ある時、徳川家康は焼きおにぎりを持って、家来と鷹狩に行きました。

獲物が多かったため、家康は気前よく焼きおにぎりを家来や犬に与えてしまいました。

その結果として、自分の食べる分がなくなってしまったのです。

やむをえず、近くの農家で山芋をゆでてもらい、塩をつけて食べたそうです。

さぞや美味かったでしょう。


なんとなく、落語の『目黒のさんま』を思わせる話です。

この噺の殿様のモデルは、三代目将軍の家光であるという説があります。

家光の弟といえば、粛清された忠長がいますが、もうひとり母の違う弟、保科正之がいました。

その弟の存在を知ったのが、目黒のある寺でした。

それまで家光が知らなかった理由は、父の秀忠が恐妻家で、正室以外から生まれた子を認知していなかったのです。


秀忠といえば、父の家康と正室には、頭が上がらなかったといわれていました。

実際には、なかなかに強かな人物であったようです。

芝居、映画、ドラマでは、なかなかに演技力を要する役です。

ついつい最近では、NHKの大河ドラマ『葵三代』では配役は西田敏行でした。

西田敏行は、大河ドラマでは豊臣秀吉、徳川吉宗を演じています。

私は、それぞれに性格が異なる役を好演したと思っています。

名優の範疇にいれてよい役者の一人です。
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2008年08月23日

神の怒り? ポンペイ最後の日

最近は東京でも地震をたびたび感じます。

被害はありませんが、自分が立っている大地が揺れるのは気持ちのいいものではありません。

横揺れよりも、縦揺れが多く、それもまた不気味です。

揺れたからといって、机の下に身を隠したりせず、「たぶん大丈夫だろう」と自分自身を納得させています。

日本は『地震大国』であると同時に『火山大国』でもあります。


地震、火山は地球という星の営みのひとつですから、地球上のどこにいても、火山はともかく、地震からは逃げようがないでしょう。

火山といえば、ヨーロッパのイタリアも火山が多い国です。

『80日間世界一周』で有名なジュール・ベルヌには、アイスランドの火山の火口から地底にもぐり、やがてイタリアのチボリ火山の火口に出るという作があります。


今から1900年以上前の西暦79年8月24日、イタリアのヴェスビアス火山が大噴火しました。

その大噴火で、おびただしい火山灰が近くのポンペイ市街を埋没させました。

ポンペイはナポリのすぐ近くで、ローマから200キロ離れています。

ローマ市内にも火山灰が降ったかどうかはわかりません。

当時はローマ帝政が始まってから約100年で、まだまだローマ帝国に活力がみなぎっていた時代です。


アジアでは、後漢王朝が創建されてから、54年が経過していました。

江戸時代、九州福岡の志賀島で金印が発見されましたが、その金印が後漢の光武帝により当時の倭国へ与えられた時代です。

邪馬台国の卑弥呼の登場は、150年後です。


ヴェスビアス火山の大噴火を当時のローマ人がどう受け止めたかは、寡聞にしてわかりません。

なかには『神の怒り』と感じた人もいたでしょう。

これが、300年後であれば、帝国の衰退、ゲルマン人の大移動により、多くの人が『神の罰』と受け取ったでしょう。

『ローマは一日してならず』は日本でもよく使われています。

そのローマも永遠には続きませんでした。

『おごるローマは久しからず』です。
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2008年08月22日

華国鋒、死す

最近は鳥羽亮の時代小説を読んでいます。

舞台は江戸時代、主人公の多くは江戸の町道場主、地方の藩の下級武士です。

彼らは剣術にすぐれていますが、それだけでは世の中を渡っていったり、出世はできません。

現在読んでいる話の主人公は、剣術の腕があだになり、お家騒動に巻き込まれます。



時代劇では、お家騒動といえば、後継者問題が描かれています。

後継者がいないと藩が取り潰される恐れがありますから、藩主が重病になると、なんとしても後継者を決めなければなりません。

そうなると必ず登場するのが、藩主の正室から生まれた凡庸な長男、側室から生まれた賢い次男です。

どちらを次期藩主にするかで、藩内が紛糾し、時には暗殺事件が起きます。

破れた側は、役職を罷免されたり、家禄を減らされたり、運が悪いと腹を切る人も出てきます。



江戸時代中期以降は、お家騒動といっても、かなり様変わりします。

後継者の問題よりも、財政改革をめぐっての対立が軸になります。



幕府、大名から旗本、御家人まで、多くが財政赤字に悩まされ、借金なしには、日をすごせなくなりました。

現在の日本と変わらない状況です。

そうなると誰でも『どげんとかせんといかん』と思います。

それが対立を生む始まりです。

なにがなんでも改革という派と現在の既得権益を守りたいという派が衝突します。


さらには、改革派の中でも手段が違うための対立が発生します。

対立が泥沼になると、武力で、つまり剣を使って対立派の有力者を暗殺しようとします。

そういう時に使われる、いわゆる刺客には剣術にすぐれた下級藩士が使われます。

成功後の役職登用、家禄の増加を鼻の先にぶらつかせて、その気にさせます。

しかし、成功すると「死人に口なし」「知りすぎた者は消せ」で、別な刺客に命をねらわれます。

血みどろの権力闘争になるのは、政権交代の論理が確率していないためと考えられます。

破れれば、自分の命だけでなく、家族、一族にも粛清がおよぶ場合があります。



現在でも専制政治、独裁政治の国家では、よくある光景です。

そういう社会では、前の権力者がベッドの上で息を引き取ることは困難です。


本年の8月20日、中国の元共産党主席の華国鋒が87歳で死去しました。

1976年、死期が迫った毛澤東から「君がやってくれれば安心だ」といわれたとして、国家出席に就任しました。

一説では毛澤東の庶子だといわれています。


しかし、共産党内部のすさまじい権力闘争に勝つことはできず、1978年、党の実権をケ小平に奪われました。

2002年に引退するまで、党の中央委員でしたが、まったく表の舞台には登場していません。

あるメールマガジンによれば、『最後の共産主義者』と書かれていました。

『改革開放』から以降は、中国の『共産主義者』は『資本主義者』になったといわれています。


華国鋒は、ベッドの上で、安らかどうかはさておき、息を引き取ることができました。

さて、次も人間に生まれ変われるなら、どの国に生まれたいと思っているのでしょうか。
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2008年08月21日

猿の聖域

私が故郷に住んでいた子供時代ですから、かなり昔の話です。

その当時は、駅前通りの繁華街でも馬の姿がありました。

現在では、『馬』といえば『競馬』ですが、あの当時は、農耕用か馬車という輸送手段に使われていました。

農村地帯の中の地方の小都市ですから、馬が歩いていても、誰も騒ぎませんでした。

『馬』は日常の光景であったのです。

もし、現在の大都市に馬が現れたなら、たとえ馬を御する人と一緒でも、当日夕方のローカルニュースに登場するでしょう。


私が現在住んでいる地区は、ほんの30年前まで農村地帯です。

現在でも、ところどころに畑があり、農産物が無人販売所で売られています。

私が徒歩で行ける範囲に図書館が2ヶ所あります。

遠い位置にある図書館への途中に、昔は農家であったろうと思わせる、庭の広い家があります。

昼間に通ると、数羽の鶏が遊んで(?)います。

近くを通りかかる人の多くは、立ち止まったり、立ち止まらない場合は、視線を鶏に向けていきます。

猫や犬なら、わざわざ立ち止まったりはしないでしょう。

珍しくても、その鶏を捕獲しようとする人もいません。


しかし、これが猪、猿、虎(?)、鰐(?)であれば、捕まえてやろうと張り切るでしょう。

そして、明朝のニュースに出ること必定です。


昨日の渋谷の猿捕獲作戦は、あれだけ多くの人員を投入しながら、人間の完敗でした。

猿と人間の機動力の差です。


ニュースによれば、ごく最近にも猿が出没している地域がありました。

専門家によれば、多摩地区の山岳に住んでいる野生の猿だそうです。

同じ猿であるとすれば、この人口密集地帯を潜り抜けて、よく渋谷まで来られたものです。

人間があふれているようで、意外と猿には聖域といえる場所があるのでしょう。
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2008年08月20日

堕ちた『台湾の子』

パキスタンの前大統領のムシャラフは、巡礼に出るそうです。

国内にいては、生命が危険になるのかも知れません。



韓国では、前の大統領が任期中の違法行為を暴かれて裁判にかけられ、有罪となりました。



同様なことが台湾で起きようとしています。

前総統の陳水扁が選挙資金の残りを海外に不正送金したという疑いです。

それに対して、妻がやった、他の政治家もやっていると、弁解しました。

どこかの国の政治家と同じことを言っています。


彼は国民党時代の1980年代、戒厳令違反に問われて裁判にかけられて有罪となり、短期間ですが、収監されました。

収監の時、彼は『光栄入獄』と書いた『たすき』をかけました。

大勢の支持者が刑務所の前まで見送りに行きました。

この『入獄』は勲章となり、さらに『台湾の子』という清新で正直なイメージが台北市長、そして総統への道につながりました。

もし、今回も有罪となり収監されても、誰も見送りには行かないでしょうし、同情すらされないでしょう。



でも、多少は弁護するならば、なぜ発覚したのでしょうか。

彼および家族の金の出し入れが『狙い撃ち』されたといわれています。

国民党内で『反台湾』感情を持っている人たちは「台湾人が総統となった恨みを忘れない」そうです。

「台湾人のくせに、8年間も政権を担当した陳水扁は許せない」のでしょう。

馬英九が政権を取り戻した後は、誰かから「何が何でも陳水扁を罪に落せ」と言う指令がでて、それで陳水扁と家族の金の出入記録を調べたのかも知れません。


『権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する』といいます。

おそらく、権力の魔力に魅せられ、魂を売ってしまったのでしょう。


ある台湾人の青年が「国民党がだめなら、4年後がある」とインタビューに答えていました。

現在の台湾人の無気力さで、はたして『4年後』はあるでしょうか。


(台湾に関しては、台湾系団体のメールマガジンの記事を参考にして、私の推測を加えて書いています)
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2008年08月19日

中国の民族数は『55』である!

パキスタンのムシャラフ大統領が辞意を表明しました。

8年前の同時多発テロ後は、国内の反対を押し切って、アメリカのアフガニスタン・タリバン政権への攻撃を支持しました。

後継者の政策はわかりませんが、アメリカは政策の転換を迫られるかも知れません。



ムシャラフ大統領といえば、1999年、参謀総長として軍事クーデターを起こして、全権を掌握しました。

クーデターは非合法手段による政権奪取ですから、『勝てば官軍、負ければ賊軍』です。

『官軍』になるためには『力』が必要であるため、一般には軍隊を動かせる力を持った人物、または集団が原動力となります。

クーデターは民主主義国家では例がないのですが、『クーデター』という用語がフランス語であるとは、何たる皮肉でしょうか。



日本でも、何度かクーデターらしきものが起きています。

私は、日本における由緒正しいクーデターは、645年の『大化の改新』が最初で最後であると考えています。

明治維新が革命なのか、クーデターであるかは、おおいに議論が分かれるでしょう。



1936年の226事件の性格についても、意見が分かれます。

当日、あるアメリカ人が現場近くへ行き、英語がわかりそうな日本人に質問しました。

   アメリカ人  これは革命ですか?

   日本人    いいえ、天皇陛下の国に革命はありません。

   アメリカ人  では、クーデターですか。

   日本人    いいえ、天皇陛下の国にクーデターはありません。



1991年8月19日、ゴルバチョフ政権下のソ連でクーデターが発生しました。

保守派のヤナーエフ副大統領らがゴルバチョフ大統領を休養先で軟禁したのです。

しかし、このクーデターはあっけなく失敗しました。

   いまや、ソ連はクーデターも満足にできないのか。

これは、クーデター騒ぎを報じたある新聞の記事の一部です。



クーデターは国家だけでなく、企業でもありえます。

昔、某有名デパートで社長の解任騒ぎがありました。

社長の「なぜだ!」は流行語になりました。



国家、企業だけでなく、家庭で起きても不思議ではありません。

『亭主関白』を気取っていると、いつのまにか妻、息子、娘のクーデターで失脚する例もあります。



さて、いよいよ、真打の登場です。

北京オリンピックの開会式では、これまでにも『偽造』『捏造』『改竄』が明らかにされました。

国内に住む『56』の民族の子どもたちが行進しましたが、じつは大部分が漢族の子どもたちでした。

じつは『56』という数字が『改竄』です。

『56』は『漢族』+『55』の少数民族をあらわします。

ところが『55』には、台湾の高山族が含まれています。

高山族とは、台湾では『現住民族』、日本では『高砂族』と呼ばれる人々です。

台湾は台湾で、中国とは異なる国であると認識している私からすれば『55』が正しく、『56』は事実誤認です。

中国が『56』であると主張するのは勝手ですが、日本人がそれに盲従する必要はないと主張します。

なんといっても、『日中共同声明』では台湾は中国の一部であるとは、一言も明記しておりません。
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2008年08月18日

『あめ』で火事が起きた?

日本を代表するホテルである東京日比谷の『帝国ホテル』で火事がありました。

東京のホテルの火事といえば、ホテル『ニュージャパン』を思い出します。

幸いにも、今回は死者、負傷者はありませんでした。

火災の翌日、ニュースサイトを見ると、帝国ホテル火事の続報として『火事の原因はあめ』と出ていました。

私は、この『あめ』を『雨』と理解しました。

そして「帝国ホテルは1890年の落成だから、老朽化して雨漏りがあり、それで漏電して火事になった」と結論を出してしまいました。

それは、とんだ早とちりでした。

『あめ』は『雨』でなく『飴』でした。

飴細工を作るバーナーが原因でした。

自分の粗忽をたなにあげて、「ただ『あめ』では、『雨』『飴』のどちらか、まぎらわしいな」と思ってしまいました。


まぎらわしいといえば、『米』と『コメ』です。

現在のテレビ、新聞のニュースでは『米』は『アメリカ』、『コメ』は日本人の主食の意味で使っています。

どちらも日本、日本人には大切ですが、2000年以上も日本人を支えた主食をカタカナで表記するのは、なんとも納得がいきません。


『米』『アメリカ』では、通訳業界に永遠に残るエピソードがあります。

あるエライ代議士センセイがアメリカを訪問しました。

そのセンセイはアメリカの高官に、以下の挨拶をしました。

   貴国アメリカの略称は、日本では『米国』です。

   日本人の主食は『米』です。

   おたがい、浅からぬ縁がありますね。

さあ、会談の通訳氏は、この挨拶をどう訳したのでしょうか。   
posted by 陳澤民 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

デヴィ夫人の夫、独立を宣言す

毎年、この季節になると太平洋戦争、または大東亜戦争のついての議論があります。

肯定派の主張は『自衛戦争であった。これによりアジアは植民地から独立できた』です。

それに対して否定派は『完全な侵略戦争であった』と主張しています。

以前は、私は否定派でしたが、最近はかなり肯定派に近くなってきました。


数年前に死去した『人権派』弁護士について、興味ある話があります。

ある暴力団の幹部がその弁護士に「先生、左翼と右翼はどう違いますか」と聞きました。

弁護士、答えて曰く「太平洋戦争を侵略戦争と考えるのが左翼、自衛戦争と考えるのが右翼です」。

その答えに、暴力団幹部「それなら、私は左翼です。よその縄張りに武器を持って押し入れば、だれがみても侵略です」。

私は、その暴力団幹部の考えに納得してしまいました。

たとえ、植民地支配下であっても、いきなり戦争に巻き込まれれば、これほど迷惑至極なことはありません。


肯定派の『これによりアジアは植民地から独立できた』は『結果』として、そうなったと考えています。

太平洋戦争中に、ビルマとフィリピンは独立しましたが、満州国と同様に日本が全般をコントロールしていたようです。

マレー半島、インドネシアは独立を認められませんでした。


1945年8月17日、スカルノがインドネシアの独立を宣言しました。

しかし、300年間もインドネシアを支配したオランダは、独立を認めませんでした。

その後、独立の戦いが4年間も続きました。

1949年12月27日、独立が承認されました。


インドネシアは『赤道にちりばめられた宝石』と呼ばれています。

地図を見ると赤道を対称軸にして、東西4500キロに7500の島が散在しています。

それぞれに、風俗、習慣、言語、宗教が違っています。

それらが現在はインドネシアというひとつの国家としてまとまっています。

それは、300年のオランダ植民地支配による意識の統一の結果かも知れません。
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2008年08月16日

暑さのなかの靖国神社

8月15日、靖国神社へ行くため、総武線市ヶ谷へ着いたのは13時40分でした。

靖国通りを東を進むと、次第に警備の警察官、機動隊員が多くなってきました。

警察官、機動隊員は完全武装をしています。

湾岸戦争、イラク戦争での対化学戦装備の兵士を思わせます。

そして、車道の歩道寄りには警備の車輌が隙間なく駐車しています。



東側の正門から入りました。

参拝者は、老若男女さまざまです。

服装も礼服、羽織袴、旧軍隊の軍服、民族派らしい戦闘服、そして最も多いのが普段着です。



拝殿で参拝する前に、手を洗い、うがいをしました。

いわゆる「うがい手水に身を清め」です。

一般の参拝者は、拝殿の前に列を作って番を待ちます。

その列は10列以上もありました。

拝殿前には初詣の神社、寺にあるような白い大きな布が張られています。

そこに『お賽銭』(といっていいのでしょうか)を投入し、二拝礼、ニ拍手、一礼をします。



境内では、さまざな団体が集まっています。

いわゆる『戦友会』などが多いようです。

敗戦から63年経過していますから、旧軍隊の軍服を着ている人は80歳代です。

どうみても戦後生まれの男性が旧軍隊の軍服を着ていました。

なぜでしょう。



先ほど、若い人もいたと書きました。

彼らが、いかなる理由で来たかなどはわかりません。

ヒマだから、ニュースに出ているから、どういう場所なのか、話のネタに行ってみようか、そういう人もいたかも知れません。

動機は、どのようなものであっても、いいと思います。

来てみて、何かを考えるきっかけになれば、それで十分です。

まったくもって、某国1と某国2は余計なことをしたものです。

寝ている子を起こしたのですから。



真夏の14時といえば、1年で最も暑い時期です。

靖国神社を出てから、総武線の水道橋駅まで20分かけて歩きました。

上野発の電車の発車時刻まで、まだ時間があるので、水道橋駅近くの喫茶店へ入りました。

そして、今年初めてのアイスコーヒーを飲みました。


今日(8月15日)は暑くはないが、63年前の今日は暑かったろうな!

(落語の『強情灸』のオチがおわかりであれば、この締めをご理解いただけるでしょう)
posted by 陳澤民 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

ついでに、靖国神社へ

これから私は北関東の故郷へ旧盆の墓参りに行ってきます。

上野から普通電車で1時間15分ですから、現在では通勤圏内です。

まことに贅沢なことですが、「故郷がもっと遠ければいいな」と思ってしまいます。

私の自宅から上野まで行くには、新宿を通ります。

現在は湘南新宿ラインがありますから便利なのですが、上野から乗らないと、たとえ近くても故郷へ帰る気分になりません。

いつもは、山手線外回りで池袋、巣鴨、田端、日暮里を経由して上野まで行きます。



今日は、いつもと経路を変えます。

九段の靖国神社へ寄ってから、上野へ行きます。

『寄ってから』ですが、『参拝』するかどうかは、わかません。

もし、参拝したならば、私には初めての経験です。

以前、仕事の途中で靖国神社の前を通ったことはありますが、一度も中へ入っていません。



帰省の『ついで』の立ち寄りでは、まことに申し訳ない次第です。

といっても、自宅からでは往復2時間ですから、わざわざ出かける気にもなれません。

今日は8月15日ですから、それでお許し願いましょう。
posted by 陳澤民 at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

天は二物(にぶつ)を与えず

『人の口に戸は立てられない』といいます。

そのせいではないのですが、8月8日の開会式の舞台裏が明らかになりました。

巨人の足跡の花火が実際は『CG』であったこと、少女の独唱が実は『口ぱく』であったことのふたつです。

昨今の日本の現状を見聞していると、『偽造』『捏造』『改竄』の文字を連想してしまいます。


『口ぱく』問題は、顔は可愛いが声が良くない少女を舞台に立たせて、顔はそれほどでもないが声が素晴らしい少女に歌わせた声をかぶせました。

13億人の人口がありながら、顔と声を満たす少女がいなかったのでしょうか。

二人の当落、そして二人による『合作』を指示したのが共産党であったことが、いかにもあの国らしいですね。

『口ぱく』問題を指摘された関係者は、私の意訳では「合作してナニが悪い。成功させるために当然でないか』と語っています。

おそらく、『偽造』『捏造』『改竄』での日本における記者会見を見て、「あれでは、いけない」と感じたのでしょう。

特に、大阪の某料亭の『ささやき女将』は、彼らには『反面教師』となったにちがいありません。


なにぶんにも、国家の威信をかけた大イベントですから、成功させるためなら『何でもあり』です。

ずいぶんと以前ですが、中国での追悼大会における写真を思い出しました。

共産党の有力者が壇上に並んで、故人を偲んでいます。

ところが、一列に隙間なく並んでいるはずの有力者の間に数人分の空白があります。

違和感を感じさせる写真でした。

ところが、この空白部には別な有力者が写っていたのです。

その有力者は権力闘争に敗れて失脚しました。

そして、過去の記録まで抹殺されてしまったのです。

消される前の写真が残っていますから、『偽造』が明らかのです。


日本でも権力闘争は苛烈ですが、破れた側に対して、「そこまでやるかな」と思わせる写真でした。
posted by 陳澤民 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

『南龍公』の孫、天下を取る

昨日の夜、ふと思いついて、以下の人名をネットで検索してみました。

   森繁久弥

   エリザベス・テーラー

全く関連のない二人です。

調べるきっかけは、「まだ健在だろうか」、または「まだ生きているだろうか」です。

どちらも健在でした。

森繁久弥は1913年生まれの95歳、エリザベス・テーラーは1932年生まれの76歳です。

話は逆ですが、私は『クレオパトラ』と聞くと、エリザベス・テーラーを連想します。

映画での印象が強烈であったからでしょう。


歴史上でも架空でも、有名な人物の名前を聞いた時、どの俳優の顔を思い浮かべるかは、年代によって異なります。

たとえば、日本の歴史の敵役の『輝く第一位』は吉良上野介です。

私が思い浮かべる最も古い俳優は、月形龍之介です。

その次が滝沢修です。

この時はNHKの大河ドラマで、大石内蔵助が長谷川一夫でした。

滝沢修の吉良上野介が、私が見た最も憎憎しい上野介です。

しかし、悪役を立派に演じるには、本当の芸の力が必要だそうです。

したがって、吉良上野介を演じた俳優は、名優といっていいのでしょう。


ところで、『暴れん坊将軍』徳川吉宗といえば、誰の顔を思い浮かべますか?

多くの人は、松平健でしょう。

ほかには、NHK大河ドラマで、西田敏行が演じています。

どちらが実際の吉宗に近いのでしょうか。


私の考えでは、「身長は松平健、顔は西田敏行」です。

記録によれば、鷹狩りで吉宗が幕臣たちと同じ場所にいると、頭ひとつだけ、周りより高かったそうです。

決して、いい男でなく、2枚目半、または3枚目であったようです。


享保元年(1716年)8月13日、御三家の紀州藩主・徳川吉宗が八代将軍に就任しました。

吉宗は二代紀州藩主・光貞の三男であり、しかも母の身分が低かったため、兄二人が健在であれば、紀州藩主になれません。

紀州藩主になれなければ、将軍になる可能性はゼロです。

ところで、祖父の頼宣(よりのぶ)の父は家康です。

家康が59歳の時に生まれました。

頼宣は後に『南龍公』と呼ばれますが、その名のとおり、豪気果断な人物であったようです。

戦国時代であれば、望ましい性格ですが、平和な時代では、幕府から警戒されます。

事実、由井正雪が起こした慶安の変では、正雪を支援したと疑われ、10年間も和歌山へ帰れませんでした。

いわゆる『虎を野に放す』ことを幕府が恐れたのでしょう。


単なる想像ですが、頼宣は天下を望んでいたでしょう。

しかし、自ら天下に号令することはできませんでした。

寛文11年(1671年)1月、頼宣は68歳で死去しました。

それから45年後、頼宣の夢が実現しました。

孫・吉宗が征夷大将軍に就任したのです。
posted by 陳澤民 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

日本人もビックリ!

旧盆期間中は、チェーン店以外の個人経営の店は何日かの休業をします。

本日、食事をした店は明日から17日(日曜)までが休みです。

おかみさんは、こういう時期でなければ休めないと語っていました。

その店も、他と同様にボトル預かりをしています。

ボトルが置いてある棚を見ると『那由多の刻』(なゆたのとき)のラベルが見えました。

焼酎のようです。


私が関心を持ったには、焼酎の名前にある『那由多』です。

これは、人間が想像もつかないほどの数量の名前のひとつです。

現在の日本の国家予算、国民総生産は、円では兆の単位です。

その兆の1000倍が『京』(けい)、京の1000倍が『垓』(がい)、、、、果てしなく続きます。

最後?が『無量大数』です。


いつ、どこで、このような体系ができたかはわかりません。

その体系のひとつに『恒河砂(ごうがしゃ)』があります。

『恒河』とは、インドのガンジス河の音訳です。

そのガンジス河の砂の数ですから、到底数え切れないほどです。

石川五右衛門の『浜の真砂と盗人』の辞世を思わせます。


インド人は中国人のように歴史の記録には、関心がなかったようです。

その代わり、非常に哲学的といいますか、ものごとの根源を極めようとする才能には優れていたようです。

数字の0(ゼロ)を発見したのは、インド人です。


0(ゼロ)のおかげで、複雑な計算が可能になり、これが現代の科学技術につながったといわれています。

ただし、現在の地球の病状を考えると、それでよかったかという思いはあります。


日本の掛け算九九は1桁同士ですが、インドでは2桁の掛け算九九を教えています。

だから、インド人が日本人より優秀であるとは思いません。

ある日本人がインドを旅行し、その紀行文に「インド人は、みな哲学者である」と書いています。

「なるほど」と思わせる一文であります。
posted by 陳澤民 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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