2008年07月31日

私は毒蛇になりたい! クレオパトラ死す

先日の朝、「ミス・ユニバースのイギリス代表が決まった」というニュースを見ました。

イギリス代表だけあって、美人顔でしたが、体はすいぶんと『ふっくら』としていました。

イギリスといえば、ミニ・スカートの発祥の地ですが、それを世界中に広めた原動力のひとつがツィッギーというモデルでした。

日本語では『小枝』という意味でしたが、たしかに今にも折れそうな体でした。


それ以来でしょうか、『やせている』が、多くの女性には至上命令となったようです。

そのため、あらゆるダイエット法が、あとからあとから、登場しています。

ということは、「決定的なダイエット法など無い」のです。

効果がないだけであれば、まだいいのですが、時には女性の体に有害なダイエット法もあるようです。

以前ですが、ある場所で一人の女性を見ました。

その女性は『やせている』を通り越して、『やつれている』という形容がふさわしい女性でした。

ある女性の美に関する評論家(男性です)によれば、「私の理想の女性は、外ではほっそり、家では(たぶん、寝室では)はグラマー」でした。



世界の三大美女といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町です。

楊貴妃は、きわめてグラマーな女性であったようです。

中国の唐時代は、グラマーな女性が好まれました。

その影響が奈良時代の日本にもおよび、当時の絵画には『ふっくら』な女性が描かれています。


クレオパトラの体形がどうであったかは、寡聞にして存じません。

シーザー、アントニウスを虜にしたほどですから、魅力のある女性であったことは確かです。

お互いが魅力を認めた理由のひとつに、『お互いに言葉が通じた』があるでしょう。

その言葉とは『ギリシャ語』であったはずです。


クレオパトラの国籍は、現在の国名では、どこにあるでしょうか。

エジプトの女王であっても、エジプト人の血は流れていないはずです。


彼女の先祖は、マケドニアのアレクサンダー大王の部下の将軍プトレマイオスです。

彼は大王が若くして死去した後、エジプトを領地にして独立しました。

それ以来の300年間、プトレマイオス王朝はエジプト人の血を交えることなく、連綿として続いてきました。

ですから、彼女はエジプト在住のギリシャ人またはマケドニア人です。


かたや恋人のシーザーはローマ人ですが、ギリシャ語が話せたはずです。

ローマはギリシャを武力で併合しましたが、文化ではローマ人はギリシャ人にはかないませんでした。


中国文化に魅せられた清朝の満州人のようなものです。

当時のローマ人のギリシャ文化傾倒を皮肉ったものに「ローマ人は、閨(ねや)の睦言までギリシャ語だ」があります。

まさに、クレオパトラはシーザーとギリシャ語で愛を語り合ったでしょう。

ただ惜しむらくは、クレオパトラの魅力はシーザーの甥で、後に初代のローマ皇帝となるオクタヴィアヌスには通じませんでした。

そのため、クレオパトラは毒蛇に、おのれの豊かな胸?を噛ませて、波乱の生涯を閉じました。

それが、紀元前31年8月1日といわれています。
posted by 陳澤民 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

『地デジ詐欺』に備えましょう!!!

3年後の2011年7月25日から、現在使用されている多くのテレビ受像機が、そのままでは使えなくなります。

現在の主流である『地上アナログ放送』から『地上デジタル放送』に『完全』に移行になるためです。

『地上デジタル放送』の略称が『地デジ』です。


ある評論家が、この略称についてメールマガジンで苦言を呈しています。

一部を記します。

   この「地デジ」という略称はなんとかならないのか。

   「ぢでじ」ではなく「ちでじ」と発音するのが正しいのだそうだ。

   日本語の響きからすると、なんとも汚らしい言葉で、筆者(評論家氏)などは
   「血出痔」と聞こえてしまう。

   いったい、この略称はだれが考え出したのか。

   総務省が所管しているから、そこのお役人か。

   それともテレビ関係者か。いずれにしろ、日本語の美しさなどとは無縁の感覚
   を持った人なのであろう。

   あるいは、乱れた日本語が横行する現状を踏まえて、こういう嫌な響きの略称
   のほうが効果的と判断したのか。



「ちでじ」を「血出痔」とは、、、筆者は『痔主』なのかも知れません。

そういわれてみると、私もこの『地デジ』は好きになれません。

(昔、『しおじい』と呼ばれた財務大臣がいました)

なぜ『地上デジタル』では、いけないのか、理解できません。



ところで、放送中のテレビ画面にも、『地上デジタル放送への移行』の案内が表示されるそうです。

『後期高齢者医療制度』の周知不徹底により、某省が叩かれたことが教訓になっているのでしょうか。


『地上アナログ放送』だけのテレビ受像機は、チューナーをつければ使用可能ですが、これが詐欺師、悪徳業者の活躍の場になるかも知れません。

チューナーを高く売りつけたり、「チューナーをつけないと罰金を取られる」と脅して買わせる事件が出てくるでしょう。

まだまだ『オレオレ詐欺』の被害者が出ていますから、杞憂とはいえません。


皆様は、こんな『初歩の詐欺』に引っかかって、笑われないようにしましょう。
posted by 陳澤民 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月29日

江戸っ子だってね、甘酒飲みねえ!

日本の俳句は『世界最短の詩』といわれています。

ご承知のように、俳句には季語があります。

それによって、季節感をだすことができます。

季語のひとつに『甘酒』があります。

では、『甘酒』はどの季節の季語でしょうか。



な、なんと、夏の季語なのです。

江戸っ子が好んで飲みましたが、彼らは見得をはったり、痩せがまんで飲んだわけではありません。

猛暑を乗り切る知恵として、麹でつくる『甘酒』を好んだのです。

現在でも熱中症予防のひとつに『水分を多くとる』があります。

江戸時代は、水分と栄養分を補給する飲み物として『甘酒』は重宝されました。

ご先祖さまの知恵のひとつです。



現在の夏といえば、子ども達の人気は、海水浴かキャンプです。

海水浴では作りませんが、キャンプの定番メニューといえば、カレーです。

カレーは誰が作っても簡単にできますし、よほどのヘマをしない限り失敗はありません。

カレーが定番メニューになった第一、第二の理由を考えてみました。

第一は『熱を加えて煮込む』ため、食中毒の心配がない、です。

第二は『カレー粉』が本来持っている殺菌作用です。



しかし、カレーのほかに、毒物が入っていては、第一、第二の理由は、無意味です。

1998年7月25日、近畿地方の某県の夏祭りで、毒物が混入したカレーを食べた4人が死亡しました。

逮捕された容疑者の外観、言動を見ると、興味本位で「こいつが犯人だろう」と思ってしまいますが、裁判では無罪を主張しています。

もしかすると、真犯人は別にいるのかも知れません。

でも、それでは、4人は成仏できないでしょう。
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2008年07月28日

左か?右か? いいえ自動車通行の話です

昨日(7月27日)の東京の夜は、前日、前々日とはうって変わった涼しさでした。

涼しくなったといっても、ごくわずかなのでしょうか、猛暑にあえいでいた人間の体には大きく感じるようです。

暑くなると人間は、『つい』『うっかり』のミスを犯しがちです。

もっとも、実際には暑さ寒さには関係ありませんから、暑さをミスの原因にしてはいけないのでしょう。



日本国内では注意していても、外国へ行き、環境が変わると、『つい』『うっかり』が芽をだします。

私が最近に読んだ『英国101話』の著者は、イギリスで10年間を過ごしました。

イギリスは日本と同じく左側通行ですから、道路を横断する場合は、最初に右を見て、次は左を見ればよいのです。

その著者が大陸のある国に出張して、ついイギリス式で道路を横断しようとして、危うく事故にあう経験をしています。

著者の友人のイタリア人は、イギリスに長く住んでいます。

イタリアに帰国した時に、ついイギリス式で道路を横断しようとして、危うく天国へ行くところでした。



日本の周辺諸国の台湾、韓国、中国、フィリピンは右側通行です。

台湾、韓国は戦前は日本の領土でしたから、左側通行でした。

しかし、太平洋戦争での敗北で、日本が領有権を放棄し、右側通行になりました。

台湾は日本の敗戦直後に左側通行から右側通行に変わりました。

当時は、現在より自動車が少なかったでしょうし、日本から中華民国へという混乱期でしたから、ほとんどの台湾人は気がつかなかったかも知れません。



アメリカの軍政下に入った沖縄も、同じころに左側通行から右側通行に変わったでしょう。

ところが、30数年後の1978年7月30日、また左側通行に変わりました。

日本に復帰してから6年後です。、

前回の変更は、アメリカ軍の力で強制的だったでしょう。

しかし、今回は民主主義国として、沖縄県民の理解と協力が必要です。

当時の沖縄は鉄道がなく、人と物の輸送は全て道路に頼っていました。

人間の体にたとえれば、道路は動脈です。

その道路の流れが麻痺しては、沖縄の経済は大混乱に陥ります。

それを防ぐためには、6年の歳月が必要であったのでしょう。



遺憾ながら、世界のほとんどの国は右側通行です。

『グローバル化』の名のもとに『右側通行』に変えさせられないことを祈っております。

もし、そうなったならば『日英同盟』で対抗しましょうか、、、。
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2008年07月27日

「竹島は日本領だ」の主張方法、ただし生命の危険あり

一般の社会生活を営んでいれば、自宅への訪問者があります。

どの人を宅内に入れるか、誰を『門前払い』にするかは、その自宅の持ち主が決めることです。

持ち主は来客をもてなすのは当然ですが、来客もその家の習慣を守らなければなりません。



それは国家と国家の関係でも同じです。

入国を許可した外国人を保護する義務があります。

しかし、その国の法を犯した外国人は、その国の法で処罰されます。

国際慣例では、国家元首だけは、処罰の対象外だそうです。



九州は、地理的な近さのため、以前から韓国人の観光客が増えています。

最も近い対馬では、韓国人観光客は地元の観光産業には、いいお客さんです。

しかし、傍若無人な振る舞いの韓国人が悩みのタネです。

ニュースによれば、漁が禁止されている海岸で、彼らは魚を取っていますが、それに対する日本側の取り締まりが、なんとも及び腰です。



今日の昼のニュース番組では、対馬に来た韓国人が「対馬は韓国のものだ」と叫んでいました。

さすがに、それに抗議する日本人の姿がありました。

これは『竹島問題』の波及でしょう。

ごくごく一部の韓国人の仕業であることを祈っています。



昔の対馬は島内の農業だけでは食糧を自給できず、すぐ隣りの朝鮮からの食糧援助を受けていた時代がありました。

だからといって、それが韓国領であるという論拠とするのは暴論です。

それならば、奈良時代以前、日本は朝鮮半島南部に『任那日本府』という『領地』を持っていたといわれています。

したがって、半島の南部の一部を日本領とする主張もできます。



以前の韓国であれば、こういう主張はソウルの日本大使館前で行なっていましたが、ついに『出張』してきました。

お返しに、日本も竹島で「竹島は日本領だ」を叫べばよいのですが、おそらく日本人の竹島上陸は不可能でしょう。

それならば、ソウルの繁華街・明洞で行ないましょうか。



日本はロシアと北方領土の領有権紛争をかかえています。

こちらは、モスクワのクレムリン広場で、北方領土領有権を主張しましょう。

ただし、いずれも命がけであることは確実です。
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2008年07月26日

『中華台北』と『中国台北』、一字違いで大違い

さて、皆さん、忙しい時、ヒマな時に関係なく、突然に「これとこれは、どうちがうのだろう」と考えたことはありませんか。

よくあげられる例として、『カレーライス』と『ライスカレー』の違いがあります。

ほかには、『おにぎり』と『おむすび』があります。

私なりに考えると、

   おにぎり  コンビニで売っている。
         おそらく、機械生産である。

   おむすび  家庭で作る
         お手製が100%である。


ついでに、もうひとつ、『中華料理』と『中国料理』は、いかがでしょう。

いずれも、人それぞれの解釈があります。

喧嘩、言い争い、トラブルの原因にはなりません。


しかし、三番目の例は、国家主権がからむと、どうでもいい、とはまいりません。

今回の北京オリンッピクには台湾の選手団も参加します。

その選手団を中国は、『中国台北』を呼称にするとしています。

しかし、それに対して台湾側は反発しています。

英語表記では、台湾チームは『Chinese Taipe』です。

その中国語訳が『中華台北』か、『中国台北』か、が中国と台湾の食い違いです。



中国寄りになったといわれる国民党内部でも、意見が分かれているようです。

どこの国の政党にも、考えの異なる人々が混在しています。

国民党でも、台湾人意識の強い人、中国人意識の強い人がいて当然です。

常に対中融和を主張している、国民党の某立法員議員が、今回の呼称問題では中国を批判しています。

国民党籍の立法院長(国会議長)は、呼称問題に関連して、下記の認識を示しています。

  台湾住民にとって『中国台北』の受容度は極めて低い。

  もし、中国が『中国台北』に固執するなら、両岸関係に悪影響を及ぼしかねない。


『一字違いで大違い』と言いますが、実質的な国名問題となると、笑って済ませることはできないようです。


なお、今回の記事は、日本在住の台湾人団体のメールマガジンを参考にしました。
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2008年07月25日

煮詰まったような、煮詰まらないような、はてさて、、、

『来年のことを言うと鬼が笑う』といいますが、1年の半分が過ぎましたから、鬼さんには大いに笑っていただきましょう。

一年の最初、正月の遊びといえば、以前は『かるた』『羽根つき』でしたが、久しく見かけなくなってしまいました。

『いろはかるた』の最初は『犬も歩けば棒にあたる』ですが、この解釈には二通りがあります。

『棒にあたる』を『幸運』『不運』のいずれにするかが、解釈の分かれ目です。

私は『不運派』ですが、昔は『幸運派』の時代もあったようです。



かるた以外でも、使い方、解釈が違ってしまったことばがあります。

たとえば、『気がおけない人』『きれる人』があります。

『気がおけない人』は、『気軽に話ができる人』『安心して話せる人』の意で使われていましたが、現在は『油断できない人』『危険な人』のように使われているようです。

『おけない』という、否定形に惑わされたのでしょう。

『きれる人』は、頭が良く、しかも回転が速く、即断即決であり、『有能な人』として使われていました。

ただし、人間味にかけるという、多少の『マイナス』はありますが、全体としては『プラス』の面が強いものでした。

しかし、現在は、、、、私が言わなくてもおわかりですね。



さて、ここまでは、話の『まくら』です。

7月24日、文化庁が『2007年度・国語に関する世論調査』を発表しました。

その中に慣用句をどれだけ、正確に理解し、使っているかという結果がありました。

『(議論が)煮詰まる』の意味を選ぶ質問では、本来の『議論が出尽くし、結論が出る状態』と答えた割合は56.7%でした。

逆に、『議論が行き詰まり、結論が出せない状態』と誤解していた割合は37.3%です。

世代別では50代、60歳以上では正答が70%以上ですが、16歳以上から30代までは誤解が70%に達していました。

おそらく、『詰まる』が誤解の原因でしょう。



実は私も『誤用』を経験しました。

1年前の勤務先で、私より若い作業責任者が『誤用』していました。

最初は、『誤用』であるとは思わなかったのですが、どうも話の筋がつながらないので、「誤用ではないか」と思い始めました。

指摘すればよかったのですが、なんとなくきっかけがなく、そのままになってしまいました。



『正用派』『誤用派』、それぞれの世界だけで使われていれば、問題はないのですが、相互に使われると誤解が生じ、悲惨な結果になる恐れがあります。

ことばは生き物ですから、現在の『誤用』が、やがては『正用』になるでしょう。

よく言われる例では『おっとり刀』があります。

この言葉が生まれた当時の人から見れば、現代人の大部分は『誤用』ですが、我々は『誤用』であるとは思っていません。

この『おっとり刀』についても、『正用』『誤用』が混在した時代があり、『正用派』は「最近はことばが乱れている」と嘆いてことでしょう。


誤解による悲劇を回避するには、相手のいうことを『翻訳』しながら聞けばいいでしょう。

ただし、若くても『正用』している人、年齢が高くても『誤用』している人がいますから、この見極めが悩みのタネです。

それでも、『合法的手段』を『がっぽうてきでだん』、『追加更正予算』を『おいかさらまさよさん』と読む、エライ代議士先生よりは程度が高いでしょうか。
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2008年07月24日

ネットは独裁を乗り越えられるか?

『十年一昔』と言いますが、最近の移り変わりの速さからいえば、『五年一昔』『三年一昔』が正しいといわれています。

この10年での大きな変化のひとつは、『インターネットの急激な普及』でしょう。

日本国内だけでなく、外国に住んでいる人とも、即時にコミュニーケンが可能になっています。

それまでの常識では考えられないことです。

仮にそういうことを考えても、それを実現する手段がありませんでした。

それが、いつ実現したかは、諸説ありますが、私は1998年7月25日であると考えています。

この日、マイクロソフトがWindows98日本語版を発売しました。


発売のセレモニーの派手さでいえば、3年前のWindows95もすごかったですね。

真夜中に花火を打ち上げていました。

宣伝にのせられて、パソコンを持っていないのに買ってしまい、どう使ってよいのか、わからなかった人もいたでしょう。


それでも、十年たらずで、ここまで普及しました。

いままで、「どうも機械は弱くて」と、しり込みして、手を出さなかった人々、特に女性への浸透ぶりには驚かされます。

いろいろと問題は抱えていますが、普通の人が自ら情報を発信し、マスコミを介さずに手を結ぼうとする傾向は、権力者には脅威でしょう。

脅威と感じる度合いは、権力体制が独裁的、非民主的であればあるほど、強いに違いありません。

ネットを武器にした人々が規制と監視を圧倒して、新しい体制を作れるかどうかは、わかりません。

しかし、強固に見えたフィリピンのマルコス政権は、トランプの城のように崩れてしまいました。

あのソビエト連邦でさえ、地上から消え去りました。

8月のお祭り騒ぎが終わった後、あの国はどうなるでしょう。

そんな憎まれ口を叩いていると「お前さんの国は、大丈夫か」と言われそうですね。
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2008年07月23日

恵比寿・盆踊り大会の提灯に見る現代宣伝事情

以前、恵比寿駅前で盆踊り大会が3連休中に行われると書きました。

しかし、それは私の勘違いで、実際の開催日は8月2、3日の金曜、土曜です。

その1週間前の土曜日(7月26日)は、隅田川の花火大会です。

恵比寿と隅田川は山手線をはさんで反対側ですが、もし同日では花火大会に見物客を取られる恐れがあるため、別な日にしているそうです。



広場には盆踊り大会の開催、協賛団体、企業の名前を書いた提灯が飾ってあります。

良く見ると、恵比寿に関係する、ふたつの企業の名前が目立ちます。

それは『●ッ●ロビール』と『●ル●ス』です。

前者は商品名そのものに恵比寿がついていますが、後者は恵比寿が発祥地であることは、ここへ来るまで知りませんでした。

私の勤務先が入居しているビルができる前は、その敷地には『●ル●ス』の社宅があったそうです。

道路をはさんだ西隣には、当時は工場がありましたが、現在は『●ル●ス』の本社があります。



そういうわけで、『●リ●ビール』『●サ●ビール』『●ン●リビール』は提灯には影も形もありません。

また、『●藤園』『●●美茶』などもありません。

つまり、恵比寿における盆踊り大会の提灯は、二大企業の独占状態であるわけです。



どうでもいい問題ですが、もし、他のビール、飲料メーカーが参加を希望した場合、認められるでしょうか。

それは大会の運営規則にどう規定されているか、です。

『恵比寿地区に事業所がある企業』という条文があれば、『●リ●ビール』等には参加させないことは可能でしょう。

しかし、『●リ●ビール』が事業所を設置したならば、状況は変わってきます。

その場合は、参加に対する賛否の決議を取るでしょうが、その決議の取り方が問題です。

賛成多数か全員一致かによって、結果は大きく変わります。

全員一致であれば、『●ッ●ロビール』と『●ル●ス』が『拒否権』を発動するでしょうから、参加は不可能です。

賛成多数であっても、『●ッ●ロビール』と『●ル●ス』が持っている力、たとえば運営費の寄付の割合が大きければ、賛成が反対を上回るかはわかりません。



なんとなく、日本の常任理事国入りを阻止しようとする連合国(または国際連合)のようであります。
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2008年07月22日

6億円横領されても、わからなかった役立たず!

バカなのは、母親か、息子か、はたまた母親が勤めていた土地改良区事務所か、いずれなのか悩む事件です。

四国の某県の土地改良区事務所に会計係として勤めたいた母親が『息子の借金』のため、6億円を横領しました。

その母親は逮捕されておらず、テレビ局の取材には応じていました。

その母親のようすが今朝のニュースで報じられましたが、私には演技過剰に見えました。


そのニュースを見て、私が感じた疑問点を以下に記します。

  1.息子の借金は、いくらなのか

  2.借金した原因は何か

  3.もし、借金の額が6億円より、ずっと少ないとすれば、なぜ6億円も横領したのか

  4.息子は母親が会計係で通帳、印鑑を預かっていることを知っていたのか

  5.息子は母親が横領することも予想していたか


息子の年齢、職業、親と同居していたのかは、私が見た範囲には出てきませんでした。

横領した母親は60歳ですから、息子は20歳代後半から30歳代後半と考えられます。

その息子が、どれだけ借金したかはわかりません。

親に泣きつくほどですから、生半可な額ではないでしょう。

親は子を救うために危ない橋を渡るといいますが、親を犯罪者にするとは、なんと親不孝な息子でしょうか。
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2008年07月21日

今、なぜ『八つ墓村』?

本日は祝日(海の日)ですが、出勤日なので早起きして某局のワイドショーを見ました。

『八つ墓村の真実』というコーナーがありました。

覚えておられるでしょうか、某書店が制作費より多い広告費を使って宣伝した『八つ墓村』という映画を。

あの映画は横溝正史という作家の原作をもとにしています。

ありそうもない、おどろおどしい内容でしたが、映画とほとんど同じ事件が実際に起きていました。

ちょうど70年前の1938年です。

場所も映画と同じ岡山県です。

北東部の津山市に近い山中の村です。

当時の津山市ではありませんが、『津山事件』と名づけられました。

21歳の青年が、映画の中と同じような扮装で、短時間に村人を30人も殺害しました。


『八つ墓村』の作者の横溝正史は兵庫県神戸市生まれです。

父の故郷が岡山です。

太平洋戦争中の末期に父の故郷に疎開してしました。

父の故郷と事件現場は50キロ以上離れています。

疎開したのは、事件から7年後ですから、まだまだ事件は人々の記憶から消し去られていなかったでしょう。

それがもとになって、『八つ墓村』が書かれ、ある雑誌に連載されました。


横溝正史は、猟奇的、伝奇的な小説を書いていると思われがちですが、時代小説も書いています。

というより、それしか書けなかったというべきでしょう。

その時代小説とは、江戸時代を舞台にした捕物話で『人形佐七』が主人公です。

人形のように男前ということで、その名が付けられました。

太平洋戦争中は推理小説(当時は探偵小説と呼ばれていました)を書けなかったため、時代小説で生活の資を得なければなりません。

なぜかはわかりませんが、当時の軍部の石頭が推理小説を認めなかったのです。


太平洋戦争中に軍部は文学者、小説家を徴用しています。

大陸、南方に送り、現地人への宣撫工作や、見聞記を書かせて国民の士気高揚に役立てようとしました。

発想、アイディアは良いのですが、実行がお粗末でした。


文学者、小説家の上官として、少尉や中尉などの下級将校をつけたのです。

下級将校の多くは、少年時代から軍隊の中で教育を受けていましたから、外の世界を知りません。

ましてや、文学者、小説家とつきあったこともありません。

おそらく、どう扱っていいか、途方にくれたでしょう。


文学者、小説家は、お釈迦様ではないですが『天上天下唯我独尊』の気風を持っています。

そして『一国一城』のプライドの持ち主です。

その彼らが、彼らから見れば文学の素養を持たない『程度の悪い将校』に素直に従ったとは思えません。

結局はその戦略は失敗したのですが、もし成功しても、それで戦争に勝てたとは思えません。


私が見たのは『八墓村の真実』の最初だけです。

今、疑問に思っているのは、「この時期になぜ放送した」です。

モデルとなった『津山事件』の発生は、1938年5月21日です。

時期が2ヶ月もずれています。

新しい映画、テレビ番組の宣伝のためでしょうか。
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2008年07月20日

挑戦! 読誦『般若心経』

昨日(7月19日)、線香の原料について書きました。

その続編というべきでしょうか、本日は盂蘭盆法要に行きましたので、それについて書きます。

東京の板橋区に台湾の仏教団体の道場があります。


そこは、仏教の行事だけでなく、東京と周辺に住む台湾人のコミュニティの場となっています。

台湾の高雄郊外に本山があり、世界各地に道場があります。

妻が熱心な信者であるため、私も誘われて『入信』しました。

(『させられました』が実態にあっているでしょう)


息子は、小学校入学前から通っているため、かなりお経が読誦できます。

それに刺激されたわけではありませんが、最近『般若心経』の読誦に挑戦しています。

ある解説書によれば、一般人が読誦、写経するには、『手頃な』長さだそうです。

一念発起してから1ヶ月ですが、全体(266文字)の40%は覚えて読誦できます。

人によって覚え方は違うでしょうが、私の場合は、意味を理解しながらであれば、覚えやすいようです。

意味といっても、究極かつ根源の意味など理解できませんがら、日本語の逐語訳としての意味です。

そして、当然ながら、経を構成する漢字の日本語読みでの読誦です。


本日の法要では、『般若心経』もありましたが、こちらは当然ながら現代中国語読みです。

日本語読みで覚えてしまうと、まったく別の経としか、認識できませんでした。

現代中国語読みの経典を、台湾人と一緒に読もうとすると、非常につらいですね。

中国でも台湾でも、漢字一文字は1音節ですが、日本では2音節です。

つまり、読むスピードが倍も違います。

中国人、台湾人がオートバイに乗っているのに、日本人は自転車で追いつこうとしているようです。


お昼になると、食堂で無料の昼食がふるまわれます。

大きなおわんにご飯と菜が同居するという、中国、台湾式の食事法です。

食堂内はテーブルがなく、椅子だけです。

盂蘭盆法要のためか、普通の日曜日より信者が多くて、食堂に入りきれず、一部は廊下に椅子を置いて食べていました。

女性が多いせいか、会話がはずんで賑やかですが、礼儀正しく、落ち着いた食事風景です。


「もし、某国であれば、どういう風景になるかな」と考えると、「やはり、別の民族になったな」と無理やりの結論を出してしまいました。
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2008年07月19日

線香の秘密、地震の『おかげ』で見たもの

我々が日常で何気なく目にするもの、これの原料は何だろう? どのようにして作るのだろう? と考えたことはありませんか。

たとえば、いなり寿司、のり巻きに使う『かんぴょう』、これの原料は何でしょう。

かんぴょうは夕顔の果実をひも状に削り、乾燥させて作ります。

日本のかんぴょうの生産量の80%は北関東の栃木県南部、茨城県西部です。

昔々、夏になると、農家では削ったかんぴょうを庭に干していました。

雨に当たると品質が悪くなりますから、夕立になると大急ぎで、庭のかんぴょうを取り込まなければなりません。

高齢化、少子化の現在の農村では、そのような重労働はできるでしょうか。


さて、次は線香です。

線香の原料が何であるかの正解の前に、本日の昼直前の地震から語らなければなりません。

11時に起きてパソコン操作をしていると、家全体が大きくゆっくりと揺れました。

その時、いやな予感がありました。

勤務日でない土曜日は、12時15分から始まる『生活笑百科』という法律番組を見るのを楽しみとしています。

この番組は、大阪で製作され、途中に宣伝が入りません。

しかし、土曜日午前中に大事件が発生すると、放送中止になり12時からのニュースが続きます。

そうなのです、今日も中止になってしまいました。


その代わりに見た番組が『和の職人』でした。

その職人が作るものが何であるかは知らされず、材料と作る行程が映し出されていきます。

茨城県石岡市の職人が、ある木の枝から葉を取り、それを粉末にして線香を作っていきます。

若い木の枝は不向きで、50年以上の枝の葉でなければ使えないそうです。

葉を粉末にするには、昔ながらの水車を使います。

石岡市は、茨城県の中央部にあり、王朝時代は常陸国の国府が置かれました。

西に筑波山があります。

その職人の家は筑波山の麓にあるのでしょう。


粉末に水を加えて、粘土状にします。

そこまでは人力と水車を使います。

それ以降は、さすがに機械を使って線香の形にします。

線香の色といえば、我々は緑色を思い浮かべますが、その職人の線香は茶色です。

染料を使っていないからです。


さて、種明かしをしましょう。

線香の材料は『杉の葉』です。

まさか、『杉』と聞いただけで、花粉症になった人はいないでしょうね。

花粉はともかく、葉は人間の心に安らぎを与える効果があるようです。

(以上の線香に関する記述は、線香全体のごく一部です)
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2008年07月18日

登場! ネアンデルタール人

九州の某県の教員採用試験の不正事件は、底知れぬ深さをもっているようです。

寡聞にして、日教組が声を上げたというニュースを聞いておりません。

既得権保護のために知らぬ存ぜぬを決め込むのかな、と疑っております。

逮捕された教育委員会の幹部の供述が漏れてきますが、それを聞くと「よくここまで良心を麻痺できるな」と思います。

そして、さらに思うのは「某県だけなのか?」です。

『氷山の一角』ということばを思い出してしまいます。



氷山にかぎらず、人間の目に見えるのは、全体のごくごく一部です。

地表の70%を占める海で、人間の探査の手が及んでいるには、海面近くに過ぎないといってもいいでしょう。

のこりの30%の大地も、地球中心までの6000キロで、わかっているのは、これも地表の皮にすぎません。

大地には、地球が生まれてからの営みの歴史が蓄積されています。

地球の年齢40億年に比べれば、一瞬にすぎない人類の文明、文化も大地に眠っています。



広大な面積と『4000年』という長い歴史を誇る中国の埋蔵されている文物の量、そして質は誰にも想像できないでしょう。

現在の中国では、遺跡の盗掘がひとつの産業だそうです。

昔々は、こつこつと穴を掘って埋蔵文物を盗んでいました。

いまや、科学の力を使い、ダイナマイトで外側を破壊して、目的を達成してしまいます。

歴史学者、考古学者には、痛恨な悪行です。



1856年7月19日、ドイツ・デュッセルドルフ郊外のネアンデルタールで旧石器中期の人骨が発見されました。

いわゆる『ネアンデルタール人』です。

教科書には、他には『クロマニオン人』『ペキン原人』『ジャワ原人』などが出ていました。

彼らが知能を持っていたか、言葉を話せたかはわかりませんが、少なくとも「自分たちはネアンデルタール人である」などと考えていなかったことだけは確実です。



昨今は偽装ばやりですが、歴史学、考古学、人類学の世界でもめずらしくはありません。

数年前の東北地方の遺跡の偽造または捏造では、教科書の内容にまで影響がおよびました。


人類学における最大の捏造事件は『ピルトダウン人事件』です。

1908年、イギリスのある地方で数十万年前の人類の骨が発見されました。

本物であると鑑定されて、この骨によって学説が組み立てられました。


ところが、この人骨はオランウータンの骨から捏造されたものでした。

誰が捏造したかは、いまだに不明です。。
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2008年07月17日

行きましょう!『地上の天国』へ!

久しぶりで関西の某府知事のニュースがありました。

フィットネスクラブへ行くのに公用車を使ったのです。

そのフィットネスクラブへは視察などの公用でなく『私用』で行ったのですが、それに公用車を使うのは「いかがなものか」という指摘です。

知事に就任してから5ヶ月ですが、体重が7キロも増えたそうです。

ストレスは増えましたが、自由に行動する時間がなくなり、体を動かすことが少なくなったためでしょう。



東北のある県の知事をつとめ、現在は大学教授で、なおかつ朝のニュース番組に出演している人がいます。

いわば『先輩』ですが、『後輩』に『大事の前の小事』ということばを贈っています。

『大事を為す前には、小事を疎かにしてはならない』という古人の教えです。

改革反対が『鵜の目鷹の目』で足を引っ張ろうとしています。

足だけでなく、足と首をいっしょに引っ張る輩もいますから、改革者たる者は心しなければなりません。

俗に『脇が甘い』といわれますが、気が緩んだりすると、落とし穴に落ち込む恐れがあります。



先日、北朝鮮の金剛山で韓国女性が射殺されました。

金剛山は38度線近くにある観光地です。

日本の能登半島に『能登金剛』という名所がありますが、そこの『本家』でしょう。


1998年から韓国人の観光客を受け入れています。

どう使われるかはわかりませんが、外貨獲得の手段でしょう。

北朝鮮側は「立ち入り禁止区域に入ったため、射殺した」と発表しています。

日本人ならともかく、韓国人が立ち入り禁止区域に安易に入ると考えることは、かなり困難です。

金剛山は白頭山とともに朝鮮半島に住む人々の聖地であり、韓国人にはあこがれの地といわれています。

まさか、そのため脇が甘くなったのでしょうか。


1987年7月18日、北朝鮮が日本人の観光受け入れを解禁しました。

それまでは、ごく限られた政治家、報道関係者以外は入国できませんでした。

しかも、北朝鮮寄りの姿勢を示さなければ、北朝鮮は入国を認めません。

観光が『自由化』されても、北朝鮮国内を自由に旅行はできないでしょう。

北朝鮮のガイドの指示に全て従うならば問題はないでしょう。

しかし、それに満足できず、自由に行動しようとすれば、果たして無事に帰国できるか、保証のかぎりではありません。



もし、私が誘われても、ご遠慮します。

(費用全額を免除してくれれば、考えてもいいですが)

まだまだ、行きたい国、地域はいくらでもありますから。

(日本の大手旅行社は、現在は北朝鮮へのツァーは実施しておりません)
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2008年07月16日

おすすめ? 絶品?? 『焼きスイカ』???

私の勤務先の昼休み時間は1時間ですが、食事後は近くを散歩しています。

新しい発見を求めるためと『1日1万歩』の目標を達成するためです。

8月末に『人間ドック』があるのですが、そこで少しでも良い結果を出したいのです。

(いささか、泥縄ではありますが)


本日も、食事後に近くを歩いていますと、ある飲み屋の入口に、夏らしく『枝豆』の写真がついているメニューがありました。

写真には、2枚の皿に盛った枝豆が写っています。

右側の写真を見ると、枝豆に『焦げ目』がついています。

よく見ると、なんと『焼き枝豆』と書いてあります。

まさに驚天動地、天と地が引っくり返る、『コペルニクス展開』の枝豆です。


最近は『つめたいラーメン』『冷やしおでん』がありますから、枝豆を焼いたぐらいで騒いではいけないのでしょう。

日本人には、りんごは生で食べるものですが、海の向こうではオーブンで作る『焼きりんご』があります。


発明というものは、縦のものを横にしたり、それでも満足しないでひっくり返した、裏返しをしなければ、よいアイディアは生まれません。

料理についても、これまでと同じ調理法では、世間をあっと驚かすことはできないようです。



ここで、究極の料理のアイディアを紹介します。

夏といえば、ビールとスイカです。

そのスイカを焼いてしまうのです。

焼き方は問いません。

電子レンジ、オーブン、何でもかまいません。

ふっくらと焼きあがれば、よいのです。

ただ、問題がひとつあります。

出来上がって食卓に乗せるまで、原型をとどめているか、です。


なお、失敗して不評をかっても、当局は一切関知いたしません。
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2008年07月15日

山手線駅前の盆踊り

またまた『ご先祖ネタ』でお耳ならぬ、お目を拝借いたします。

私が勤務している東京・恵比寿の西口広場には盆踊りのやぐらが立てられています。

今週の週末には広場が盆踊り会場に変わります。

以前からですが、都内、郊外の住宅団地でも盆踊り大会が行われ、露天、屋台でにぎわいます。

東京都の人口は1300万人で、そのうちの1000万人近くが二十三区内に住んでいます。

半数以上は地方から出てきて住み着いた人々の子孫です。

江戸は、徳川家康が秀吉から関東へ移れと指示され、さらに関が原で天下人となってから急激に発展しました。

家康に招かれて、多くの人が江戸へ移ってきました。

佃煮で名高い佃島の人々の先祖も、当時の大坂湾の漁村から移ってきたそうです。

すでに400年、何世代も経過してしまえば、『江戸っ子』です


しかし、戦後になった住み着いた人には故郷の記憶があります。

中国返還前の香港を取材した番組に、中国各地の方言で歌、芝居を演ずる劇団の前で、目を閉じてもの想いにふける人の姿がありました。

都会の中で普段は故郷を忘れていても、なにかのきっかけで思い出すことがあります。

そのひとつが、盆踊りです。


九州、沖縄とちがって、なんとなく東北は曇っていて、重苦しいイメージがあります。

しかし、そのイメージを吹き飛ばす『三大祭り』があります。

仙台の七夕、山形の竿灯、そして青森のねぶた(弘前、津軽では、ねぷた)です。

ねぶたの山車灯篭に描かれる絵の中には、東北遠征における坂上田村麻呂と蝦夷との戦いがあります。

京都の朝廷から見れば、当時の東北は征服されるべき土地でしたが、そこには独自の文化がありました。


1994年7月16日、青森市郊外の三内丸山(さんないまるやま)で巨大建造物の跡が発見されました。

いわゆる『六本柱』です。

その後、発掘がすすめられ、国内最大の縄文時代の集落であることが確認されました。

私は、その5年後の1999年夏、ふとしたきっかけで、三内丸山遺跡を見学できました。

息子が入学した私立中学のPTAが関係する行事で青森へ行ったのです。

見る直前まで、その遺跡については、まったく知りませんでした。

それまでの縄文時代のイメージを覆すには、十分な規模と内容の遺跡でした。

その遺跡見学には、息子の学校の教頭がガイドになって説明してくれました。

教頭は社会科の先生であったのです。


説明で覚えているのは、三内丸山遺跡の『ランドマークタワー』である『六本柱』の復元に必要な栗の木は、日本では入手できないので、シベリアから輸入したことです。

遺跡から出土したヒスイは新潟県糸魚川から運ばれたものです。

縄文時代といえば、自給自足という狭い範囲の生活を連想をしますが、予想もしない広範囲な経済活動が行われていたのです。


人間は、自分が生きた時代は実感を持って語れますが、それ以前ともなれば、なんともあやふや不明瞭です。

いまから数千年後の人々は、現在という時代をどうイメージするのでしょうか。
posted by 陳澤民 at 23:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

猛暑の夏に『寒い、寒い』話です!

いやー暑いの暑くないの、土曜日曜は暑かったですね。

2日間の最高気温の上位6地点を愛知県、岐阜県が独占しました。

九州、沖縄でなく中部地方であることは、地形の影響でしょうか。

関東地方では内陸部で最高気温が発生します。

代表的な地が埼玉県熊谷、館林です。

2007年8月15日までの日本の最高気温は、1933年、山形市で記録した40.8度です。

東北地方と接している関東の住民でも、東北は暑くないという意識がありますから、山形市が内陸部にあるとはいえ、なんとも不思議な記録です。

しかし、同年8月16日、埼玉県熊谷市で40.9度を記録しました。

これによって、山形市は74年間も保持していた『日本一』を失ったのです。


暑い話もなんですから、涼しい話をお届けします。

日本での最低気温は、1902年、北海道の旭川で記録した零下41度です。

しかも上位?5地点で、唯一40度を超えています。

これは100年以上も、やぶられていません。


『北海道』のイメージは『寒くて雪が多い』でしょう。

しかし、雪の量でいえば、北陸にはかないません。

北海道は九州と四国をあわせた面積がありますから、気候はさまざまです。

簡単に考えれば、雪が多いか少ないか、寒いか寒くないかを組み合わせた4つのパターンに分けられます。


20年以上前の真冬の旅行の経験では、日本最北端の宗谷岬は、雪は少なかったのですが気温はかなり低かったのを覚えています。

それは岬の突端ですから、強風のため体感温度が下がっていたのかも知れません。

雪が多く、そして寒い地にも行きました。

そこは今は無き、深名線(しんめいせん)というローカル線の朱鞠内です。

『しゅまりない』と読みます。

現在の北海道の鉄道は、幹線以外は廃止されてしまいました。

最後まで残されたローカル線のひとつが深名線です。

函館本線の深川と宗谷本線の名寄を結んでいました。

なかなか廃止されなかった理由のひとつが「沿線が豪雪地帯である」です。

道路が完備していなったため、沿線住民の足を確保するため、廃止できなかったのです。


深川から朱鞠内までは、運転本数は北海道のローカル線としては多いのですが、朱鞠内から以北は、1日に3本でした。

直通の列車がなく、昼間の1本に乗るには朱鞠内で3時間以上も待たなければなりません。

駅の周辺には、商店も、喫茶店もありません。

さすがに時間を持て余して、徒歩で道を歩き出したのですが、極寒の地とはいいながら、体が環境に慣れてしまったのでしょうが、寒く感じませんでした。

列車の時刻を考えて、適当な地で駅へ戻ったのですが、あのまま歩きとおしていたならば、雪の中で行き倒れになっていたかも知れません。



それでも、1995年、廃止になりました。

夏には、ふさわしいような、ふさわしくない話でした。
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2008年07月13日

ペリー提督、日本の土を踏む

『戦争は武器を使う外交。外交は武器を使わない戦争』といわれています。

つまり、勝つためには『何でもあり』です。

それを言いつくろために『勝てば官軍』『力は正義なり』があります。

戦争でも外交でも相手があります。

当然ながら相手にも弱みがあり、妥協すべき頃合を狙っています。

いかにして、そこをつかみ、こちらに有利に展開するには、沈着冷静な判断が必要です。

「どうしたら無事に会議が終るかな」と考えていると、それは不可能です。


相手が弱く出てくると強くなり、相手が強く出てくると腰砕けになる場合があります。

(どこの国とは名指ししませんが)


それを有効に利用した人物が、アメリカの海軍提督マシュー・ペリーです。

マシュー・ペリーが日本の鎖国の扉をたたいた最初のアメリカ人と言われています。

じつは、その前に別な提督が来て、幕府に開国要求をしています。

その時は、きわめて紳士的であったため、幕府は門前払いをしました。

ペリーは前回の失敗の原因を分析し、「彼らには強い姿勢で交渉しなければならない」と決断しました。

それは、じつに正解でした。


1853年(嘉永6年)7月8日、ペリーの黒船艦隊が浦賀に入港しました。

ペリーは「フィルモア大統領の親書を受け取ってほしい」と要求しますが、幕府としては受け取りたくないのです。

受け取ってしまうと『鎖国』という国是を破ることになるからです。

(江戸時代の幕府の外交政策が『鎖国』であったかについては、異論があります)

しかし、受け取らざるを得なくなりました。

その幕府の決定は、それも正解でした。

受け取りを拒んでも、拒みきれるものではなかったのです。


1853年(嘉永6年)7月14日、幕府が指定した地に、ペリーは護衛を引きつれて上陸しました。

ペリーは大統領の親書を浦賀奉行に手渡し、開国の要求をしただけでした。

日本側は、当然ながら日本料理で接待しました。

味はともかく、量についてはアメリカ側は不満であったようです。

それから、接待会場に相撲の力士を登場させました。

「日本にも体格のすぐれた人間がいるのだぞ」というデモンストレーションでしょう。

その力士は、すべて日本人でした(たぶん)。


いつの時代でも、人間は外見、服装で相手を判断します。

ペリーは大統領の名代として、正装に身を固めたでしょう。

さすがに、当時は『ヒートアイランド現象』『地球温暖化』はなかったでしょうが、7月半ばの関東地方は蒸暑かったと思われます。

ペリーは、さぞかし汗をかいたでしょう。
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2008年07月12日

持っていくなら、せめて手を合わせてから

時代小説の主題のひとつに『あだ討ち』があることは以前に書きました。

父または兄の『あだ』を討たないかぎり、お家は断絶になります。

家の存続を第一に考える武士社会では、残された子または弟は『あだ討ち』の旅に出なければなりません。

しかし、公権力の支援は受けられませんから、自らの才覚で探し回らなければなりません。

江戸時代の交通、通信事情では、数年で『あだ』を討てれば幸運で、最悪は30年以上かかる場合もあります。

それでも、『あだ』を討てればいいのですが、異郷の地で果てるか、または『返り討ち』にあうかも知れません。



私が最近に読んだ小説では、34年をかけて『あだ』を討ち、妻のもとに帰る話がありました。

『あだ討ち』の出発時、夫は20歳、妻は17歳、しかも夫婦になって2ヶ月後の旅立ちでした。

34年後に再会したとき、おたがいは相手がだれであるか、わかりませんでした。



『あだ討ち』では、最初の数年は親戚が費用を工面してくれますが、それ以上になると冷たくなります。

豊かな生活を送っている親戚ばかりではありませんから、それもやむをえません。

途中で旅費がなくなり、寺、路傍の地蔵のお供え物を失敬したりして命をつなぐ場合があったでしょう。

おそらく、最初はお供え物を失敬する行為に対して、神仏に許しを願っていたでしょうが、やがては考えなくなり、当たり前のことになったかも知れません。



6月8日の秋葉原の通り魔事件から、1ヶ月がたちました。

現場近くに千代田区役所が献花台を設置しました。

そこには花だけでなく、ペットボトルの飲料も供えられています。

その飲料を取っていく人たちがいます。

献花台の所有者は千代田区役所ですから、そこに置かれた物は千代田区所の所有物です。

そいを所有者に断り無く持ち去る行為は『窃盗』です。

重罪であり、けっして『お小言』で済む行為ではありません。

その現場をあるテレビ局が撮影し、実際の『窃盗』行為を放映しました。

テレビ局の担当者が『容疑者』に質問しても、「知らない。持っていっていない」と否認しています。


『現行犯逮捕』は警察官だけでなく、一般の人でもできます。

『一罰百戒』の意味で警察に突き出してもいいのですが、あとあとを考えるとテレビ局にそこまでの度胸はないでしょう。


どういう人が持ち去るのかは、わかりませんが、『ホームレス』という説があります。

たとえそうであっても、献花台に手を合わせるぐらいはすべきでしょう。


ところで、あの台に供えられた品、たとえばペットボトルの飲料はどうなるのでしょうか。

まさか、『使いまわし』にはならないでしょうね。
posted by 陳澤民 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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