2008年12月02日

『あなたとは違うんです』こそ、今年の流行語大賞!

毎年同じことの繰り返しですが、12月になると『一年の締め括り』が始まります。

その中でも『今年一年をあらわす漢字一文字』と『流行語大賞』がニュースの話題のひとつです。

昨日の夜、7時からニュースで『流行語大賞』が出ました。

あの『あなたとは違うんです』も、しっかりと候補に入っていました。

さらに9時からのニュースでは、大賞の発表がありました。

私が見たのは『グー』『アラフォー』でした。

どこをどう見ても日本語とは思えません。

私は『グー』を流行させた主の名前、顔は知っています。

顔に似合わぬ、丁寧、上品な話し方をすると認識しています。

ただ、経歴、現在の職業が何であるかは知りません。

ネットで検索すればわかりますが、そこまで酔狂、物好きではありません。

『外国語もどき』が選ばれたことで、政治家の失言に見られる「言葉が軽くなった」と嘆くべきか、「国際化した」と喜ぶべきでしょうか。


まだ、ニュースの価値があるようで、昨日、前航空幕僚長が外国人記者グループに招かれて講演をしました。

あの論文の審査は誰が、どういう価値判断、思想で最優秀賞にしたかが、話題になりました。

それと同じで、私には「なぜ、あれが今年の流行語大賞に選ばれたか」が重大な関心事です。


明日(12月3日)は、帰宅が『午前様』(仕事です!)のため、投稿は休みます。
posted by 陳澤民 at 21:16| Comment(34) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月01日

台湾の総統、富士五湖にあらわる!?

台湾南部の大都市、高雄の郊外に仏教教団の本部があります。

この教団は台湾だけでなく、世界中の主要都市に支部、道場を持っています。

日本では、東京、大阪、福岡にあります。

この教団の開祖は、1927年、中国本土の江蘇省揚州に生まれました。

長江下流域の肥沃な穀倉地帯です。

開祖は若くして出家し、1949年、台湾へ移りました。

そして60年近く、自ら創設した教団を台湾有数の宗教教団とし、中国、台湾の政界も無視できない力となっています。

『東京別院』とは別に、富士五湖のひとつの湖岸にも広大な敷地を持つ施設があります。

なにぶんにも東京都内では、広い敷地の確保が困難ですから、大きな式典、法会、会合を行うには東京都内の施設では不十分です。

この施設で、先月の29日、30日に重要な式典が行われました。

29日が『五戒』を受ける式、30日が『功徳主会』です。

『五戒』とは仏教徒が守るべき『五つの戒律』で、『殺生戒』『邪淫戒』などです。

私は信者の一人として、その五戒を受けるため、妻と東京から訪れた次第です。

『五戒』を授けるのが、当年81歳ながら、まだまだ壮健な開祖です。


翌日の『功徳主会』の『功徳主』とは、財政面などで教団を支える人々で、私も妻とともに、その一人です。

『功徳主会』の会場に現われた開祖の後の人物の顔を見て、私は非常に驚きました。

最初に見たとき、現総統の馬英九氏が現われたと思いました。

しかし、台湾の政党の代表者の国民党主席であればともかく、台湾の国家元首である総統として日本を訪問することは不可能です。

それがわかっていても、馬英九氏と見間違えるほど、そっくりでした。

その人物は、『台北文化代表処』の代表である馮寄台(ひょうきたい)氏です。

1946年、台湾・高雄の生まれです。

本年3月の政権交代で、新任の代表に就任しました。

ご承知のように、日本と台湾は国交がありませんから、『民間団体』である『台北文化代表処』が大使館の役割を持っています。

民間であっても、政権の影響を強く受けています。

そのトップの肩書を『代表』でなく『大使』と呼ぶ人々もいます。

『大使』の隣には『前立法委員』が座りました。

『立法委員』とは日本でいえば、衆議院議員です。

これだけで、政治と宗教のつながりを云々するのは、早計、早飲み込みかも知れません。

開祖の話では通訳がつきましたが、『大使閣下』の挨拶は通訳されませんでした。

はて、なぜなのかな、まさか日本人に聞かせたくない内容であったのか、でも中国語に堪能な日本人もいるのには、、、、いろいろ考えてしまいました。

後で妻に聞くと、「日本へは単身赴任であること、母に富士山を見せたい」等でした。

わざわざ、通訳するほどのことではないと、通訳の法師(年配の女性)は判断したのでしょう。
posted by 陳澤民 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

今日は、インドのお話です

昨日、タイのデモ騒ぎについて書きましたが、今度はインドが大騒ぎです。

テレビのニュース映像では、もはや『騒ぎ』ではなく『戦闘』です。

ムンバイ(旧ボンベイ)で、駐在していた日本人が一人亡くなりました。

まだ、38歳の若さです。

知っている、知っていないに関わらず、自分よりはるかに若い人の死を聞くのは、つらいものです。

生きていれば、実績、業績を残せるだろうと思えば、なおさらです。

ムンバイはインド最大の都市で、人口が1400万人ですから、東京の23区と多摩地区、伊豆七島の総人口と同じです。

世界に200ある国の半分は人口が1000万以下ですから、もはや『国』といってもいい大きさです。

中国とインドは、国別の人口では世界の第一位と第二位で、まさに『人口大国』です。

概数(というより、うろ覚えです)では中国が13億、インドが10億です。



中国は大部分が漢民族で、漢語を使っています。

漢民族といっても、中国本土がヨーロッパと同じ面積ですから、地域によって顔つき、言葉、風俗、その他もろもろが違います。

それ以上に、少数民族であるモンゴル族、チベット族、ウィグル族と漢族は大きく違います。

現在は、漢族の圧倒的な『人口圧力』で押さえているといえるでしょう。



インドも多数民族の国ですが、日本人には見分けがつきません。

インドどころか、パキスタン、スリランカ、バングラディシュの国民とも、判別できないでしょう。

昔は、イギリスの統治下で『インド帝国』という、ひとつの国でした。

イギリス国王が『インド皇帝』を兼ねていました。

それが独立とともに、三つの国になり、やがてパキスタンからバングラディシュが分離しました。



インドは、多数民族ですから使われている言語も、半端な数ではありません。

一説では1650、一般的には100といわれています。

最も多く使われている言語はヒンズー語で、公用語のひとつでますが、使用率は全体の60%といわれています。

中国の漢語は方言もありますが、全体の95%が使っていますから、それと比べると、かなり状況が違います。

そのため、旧宗主国のイギリスの言語である英語も公用語扱いとなっています。


以前、インドは『世界最大の民主主義国』と自称していました。

選挙制度、複数政党が機能している国、つまり民主主義国では最も人口が多いからです。

しかし、国内のイスラム勢力の一部はインドからの分離独立を求めて、武装闘争、テロを繰り広げるなれば、いつまでその看板を掲げていられるでしょうか。


中国も、国内にさまざまな問題を抱えています。

同じ複数民族国家でも、抱える悩みは変わりません。

単一民族と自称している国でも、難題山積ですから、それはやむをえないでしょう。


明日は、台湾仏教教団の会合で富士五湖まで、一泊で出かけます。

したがいまして、明日は投稿いたしません。

では、ごきげんよう。

「よいお年を」は、多少早いですね。
posted by 陳澤民 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月27日

『微笑みの国』タイのデモ騒ぎ

昨日、ある人のブログの題名だけ見ますと、『タイで混乱、、』とありました。

遅かったので、本文は読みませんでした。

その人は、東南アジアに個人で何度も旅行されているので、関心が深いのでしょう。

今朝のニュースでは、現在の政権に反対するグループのデモ隊がバンコク国際空港を占拠しました。

そのため、空港が閉鎖され、航空機の離発着ができなくなり、1万人以上の利用者以上が空港内で夜を明かしました。

日本でいえば、成田空港がデモ隊に占拠され、閉鎖されたと同じです。

デモの戦術としては、なかなか賢いな、と私は考えています。

他人に不必要な迷惑をかけずに、存在と要求を誇示するのが、デモの基本です。

東南アジアの要というべきタイのバンコクですから、外国のメディアの関心を呼ぶこと請け合いです。

某国は『暴乱の徒』を戦車で弾圧しましたが、国際空港のビル内では、それは不可能です。



タイという国は、これまで何度もクーデター騒ぎがありました。

隣国のミャンマー、カンビボジアのように、強力な独裁政権が誕生したことは、私の知るかぎりありません。

それでいながら、国としてまとまっているのは、王室が存在するからといわれています。


現在のタイの王室は日本の皇室よりは歴史が短いですが、タイ国民統合の象徴であり、国王は国民の尊敬の対象です。

私は随分と前ですが、バンコクの映画館へ入りました。

映画が始まる前に、国歌が流れ、国王の写真がスクリーンに映し出されます。

観客は全員起立して、国王に敬意を表します。


ある時、日本の青年がつばを床に吐きました。

その青年は、まわりのタイ人から袋叩きにあいました。

タイ人には、国王を侮辱する行為なのでしょう。

『郷に入らば、郷に従え』です。


タイの国産映画では、英語、中国語の字幕がでません。

したがって、チンプンカンプンです。

それで、勝手にセリフを考えながら見ていました。

それも楽しみのひとつです。
posted by 陳澤民 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

東京が生まれた日?

以前というか、昔、ベトナムといえば『戦争』でした。

そのベトナム戦争が終わって33年です。

今のベトナムは、日本の海外の生産基地のひとつです。

和服仕立てとソフトウェア開発という、伝統と最先端を担っています。

かつては17度線で分断されており、ふたつの国があり、したがって首都も別でした。

現在はハノイが首都ですが、ベトナム全体から見れば、かなり北にあります。

ハノイの東にハイフォン港があります。

ベトナム戦争当時は、アメリカの爆撃により、港に停泊中のソ連などの共産圏から援助物資を積んだ船も被害を受けました。

そのハイフォンに面している海域を『トンキン湾』といいます。

実は、『トンキン』の漢字表記は『東京』です。

おそらく、中国の南部地域の発音でしょう。

地図を見ると、中国領の海南島がトンキン湾をふさぐように横たわっています。

ベトナムから見れば、きわめて目障りな光景でしょう。


1868年(明治2年)11月26日、明治天皇が江戸城に入城しました。

そして、東京城と改称して、皇居としました。

それまで、天皇の御所があった京都の市民は、天皇の東京行きには、大反対しました。

そのため、「東京へ行くのは一時的である」と言って、なだめたようです。

明治天皇は、一度京都へ戻りましたが、その後は、東京が『現住所』となりました。


ところで、『東京が日本の首都である』という条文を有する法律は存在しないそうです。

内閣、国会があるから、なんとなく首都であると、国民が納得しているのでしょう。



東京一極集中を緩和するため、首都移転論、展都論などが言われています。

先ごろ、東京が大地震で壊滅すればいいと、発言した知事サンがいました。

そういえば、平清盛時代に短期間ですが、京から福原に都が移りました。

まさか、それが念頭にあったわけではないでしょうね。
posted by 陳澤民 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

行列ができるケーキ屋さん、行列ができそうもない居酒屋さん

つい最近、自宅と駅までの間に、小さな洋菓子店が開店しました。

店といっても、カウンタがあるだけで、商品は他で作って、そこで販売しているようです。

午後から夜にかけてが営業時間ですが、いつ通っても行列ができています。

有名な店名ではありませんから、よほど口コミで評判が広まったのでしょう。

我が家ではケーキはご法度なので、列に並ぶことはないでしょう。



あと1ヶ月でクリスマスですから、商店街にはクリスマスの歌が流れています。

以前からですが、冬でもアイスクリームのケーキが売られています。

これは、家屋の暖房が普及したためでしょう。

おいしいアイスクリームでも、隙間風に震えながらでは、興ざめです。

暖房の効いた部屋でアイスクリームを食べると、『幸せ』『ハッピー』『リッチ』(古いかな)という言葉が浮かんできます。



昨日の東京は、午後の3時すぎから秋の雨が降りだしました。

仕事に出かけて、帰宅途中に最寄の駅に着いて、外へ出ると某有名居酒屋チェーンのスタッフが通行人にチラシを渡していました。

同時に「本日は生ビールが半額です」と、スタッフ氏が叫んでいます。

暖房の効いた室内で、『生ビール半額』を聞けば、「今日は、はでに飲むか」となりますが、冷たい雨に降られながらでは、どうでしょうか。

体の底から冷えてしまいそうです。

さらに、財布の中身を考えると、それに誘われる人は少ないでしょう。

給料日の前日ですしね。

果たして、『生ビール半額』キャンペーンの成果や、いかに?


【今日のできごと】
  1970年 三島由紀夫が東京市ヶ谷の自衛隊・東部方面総監部で
        割腹自殺

        独断的注釈
         軍人が最も嫌い、警戒するのは、『軍人らしい』服
         装、態度、そして行動をする人物、集団です。

  1986年 有楽町3億円事件発生

        独断的注釈
         本来?の3億事件は、1968年12月10日に発
         生しました。

         18年間で、3億円の価値はどれかで変わったので
         しょうか。
posted by 陳澤民 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月24日

『実年』?、そんなの関係ねえ!

今度の総理のあだ名は『漫画太郎』でしたが、最近は『新KY』または『ダブルKY』というそうです。

『空気が読めない』に『漢字が読めない』が強固に合体した『ダブルKY』です。

旧『KY』は、誰が言い出したのかはわかりませんですが、言葉が軽くなった昨今を象徴する言葉です。

この言葉は、自然発生的に生まれたのでしょうが、『需要』があったためか、あっというまに『市民権』を獲得してしまいました。

私は好きではありませんが、自然に発生した言葉は、自然に消滅しないかぎり、つまり誰も使わなくなるまで、永遠に残るでしょう。


官僚主導というか、官公庁主導というか、上から押し付けた言葉は、すぐ廃れるか、またはおじょくって使われるようです。

その代表例が『ぜいたくは敵だ』という標語です。

これは太平洋戦争直前か開始直後に、国民生活を引き締めるために、どこかのエライ人が考えたのでしょう。

しかし、そういうエライ人が権力を使ってぜいたくをしていました。

国民もバカではありませんから、そういう実態はすぐ広まります。

その標語を以下のように『改良』して使い、鬱憤をはらしていたようです。

    ぜいたくは素敵(すてき)だ

    敵(つまりアメリカです)はぜいたくだ



ところで、標語ではありませんが、皆様は『実年』という言葉に記憶がございましょうや。

これは、1985年(昭和60年)11月25日、当時の厚生省が発表した言葉です。

当時から、医療技術の進歩、少子化と高齢化の進展によって、日本は世界有数の長寿国となりました。

政治家の世界では『五十、六十は鼻垂れ小僧』ですが、一般の国民も、同じになってきました。


それまでは、50歳代・60歳は老年者または高齢者と呼ばれていたのですが、それでは実態に合わないと、厚生省のエライ人は考えたのでしょう。

「新時代にふさわしい言葉を公募しよう」となりました。

その費用は、当然ながら税金でありますね。



公募の名前の第一位は『熟年』でしたが、なぜか選ばれず、『実年』となった次第であります。

この言葉は、一般には広まらず、現在は『死語の世界』です。

その当時、『実年世代』であったハナ肇とクレイジーキャッツの曲に『実年行進曲』があります。

この歌は、『実年』が作られたことを記念しているか、からかっているともいわれています。

作詞家は参議院議員と東京都知事の経験者です。



官庁ではありませんが、JR東日本の『E電』も命名者の願いに反して、同じ運命をたどりました。

これも公募の中から選ばれました。

審査員の中に、太った作詞家、作曲家がいました。

彼が作曲、作詞したCM歌は、これまで多くが必ずヒットしていました。

はからずも、彼の力が万能でないことが証明されてしまいました。

広まらなかった原因について、彼は「JR東日本が宣伝しなかったからだ」と述べています。

『自分のことは棚にあげて』の良い実例です。
posted by 陳澤民 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

本当の犯人かな?

なんと、元厚生次官3人を殺傷した容疑者が自首しました。

ニュースで見る容疑者は、しっかりと前を見ています。

そのせいか、なんとも穏やかでない目に見えます。

あのような凶悪な事件を起こしても不思議でない人物に見えてしまいます。

事実として、住居の周辺では『トラブル・メーカー』として、名が高いようです。



テレビの刑事ドラマでは、刑事が指名手配の容疑者に「自首すれば罪が軽くなる」と説得する場面があります。

実際に罪が軽くなるのは、捜査線上に名前があがっていない場合です。

したがって、今回の事件の容疑者が、それに該当するわけです。

しかし、いくら批判されている省の元次官であっても、3人も殺傷していては、どれだけ軽くなるのでしょうか。

罪を悔いているようには、到底見えません。



あの容疑者を見て、ヤクザ映画のヤクザ同士の抗争事件を連想してしまいました。

抗争事件では、相手の組長が射殺されます。

その後、ある組員が警察に自首します。

その組員は組長に「家族の面倒はみてやる。出所すれば幹部にしてやる」などと言い含められて自首するのです。



今回のあの容疑者は、身代わり犯人にするには、うってつけの顔であり、普段の行状です。

今後の捜査では、いかなる結論が出るかわかりません。

それでも、あの容疑者の顔、特に目を見て、そんな考えを持ってしまいました。
posted by 陳澤民 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月21日

白馬は馬にあらず? 『ニセ医師』は医師にあらず?

時代劇には剣術の師匠が弟子に『免許皆伝』の虎の巻を授ける場面があります。

あの『免許』とは、現在の運転免許とはちがって、その流派の剣法の極意を記した秘伝書です。

自分を権威付けるには、格好のものでしょう。



『免許』といえば、江戸時代の医師には、公的な免許は必要ありませんでした。

現在のような免許制度そのものがなかったのです。

薬屋の店員でも、耳学問で医術を覚えてしまえば、医師として開業できました。

髪を『慈姑(くわい)』という医師独特の形に結い、十徳(じゅっとく)という羽織のような服を着れば、これで医師のできあがりです。

現在の日本で、白衣を着て、聴診器を首にかけて、病院内を歩けば、医師と間違われるとのと同じです。

だだし、医師の看板を掲げても、患者がこなければ、メシの食い上げです。

当時の江戸は、現代以上の口コミ社会でしたから、その医師の腕、つまり名医かヤブ医かという噂はあっという間に広がりました。

いつの世でも、命と金は患者のものです。

金持ち、貧乏人に関係なく、医師を選ぶ権利を持っています。

ヤブ医という評判がたてば、誰でも命は惜しいですから、患者の待合室は人っ子一人いなくなります。

いわゆる閑古鳥が一羽だけでなく、何十羽も鳴けば、廃業するほかありません。

そうならないためには、医術を磨き、患者の病気を治さなければなりません。

そういう医師であれば、たとえ無愛想で口が悪くても、『商売繁盛』です。



現在の日本には、医師免許の制度がありますから、免許の無い医師は『ニセ医師』です。

時々、『ニセ医師発覚』のニュースがあります。

なぜか、不思議なのは、『ニセ医師』の評判がいいのです。

近所の人の、多くのコメントは「あの先生がニセ医師とは、まったく思いませんでした」です。

免許がないだけで、腕は本物の医師と変わらないのでしょう。

つい先日、関東の某県で『30年間も無免許の医師』が発覚しました。

その『医師』は65歳ですから、35歳から『医師』になっていたのです。

もしかすると、『ギネス級』かも知れません。

『整形外科医』であったそうですから、命に関わるとは思えませんが、30年間も疑われなかったのですから、あっぱれです。

どういうきっかけで発覚したかはわかりませんが、ちょっとしたことなのでしょう。



また、総理大臣が『失言』しました。

どうも、秋葉原での演説と勘違いしているようです。

いわゆる『先生』と呼ばれる職業である、教師、弁護士、代議士、そして医師は、まわりから『先生』と呼ばれていると、ついつい、エライ気になってしまうようです。


あるパッケージツアーの添乗員は「『先生』と呼ばれる人たちのツアーの添乗員はやりたくない」と語っています。

なぜなら、「こちらの言うことを聞こうとしない」からです。


最後に、某国の有力者であった故人の言葉を記します。

   白猫でも黒猫でも、鼠を取る猫が良い猫である。
posted by 陳澤民 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

反乱に失敗した大将の行く末は

さて、来年の大河ドラマは『天地人』で、上杉家の筆頭家老・直江兼続が主人公です。

戦国時代が大河ドラマの舞台になるのは何回目になるか見当もつきません。

それだけ、あの時代は人間が人間として生き、人間の行動の全てが現われたといわれています。

中国史でいえば『三国志』の時代に相当するかも知れません。

俗説では、直江兼継と石田三成が事前に家康打倒の同盟を結んでいたといわれています。

家康が上杉討伐に向かった隙に三成が兵を挙げる、家康が反転して背をむけた時に、上杉軍が背後から攻撃するという戦略であったようです。

司馬良遼太郎の『関が原』では、上杉の隣国の伊達が牽制したため、家康は難を逃れた場面が描かれています。



戦国時代に登場した武将では、天下を取った人物はもちろんですが、天下を取れず、しかも滅びざるを得なかった人物が映画、ドラマ、小説の題材になるようです。

大河ドラマでも、謙信より信玄が主人公としても、脇役としても出番が多いようにおもいますが、いかがでしょうか。

当時の戦国大名は大きな作戦には自ら出陣していて指揮をとっていました。

信玄は、戦闘が始まると第一線の指揮官に一切を委ねていたといわれています。

戦闘が始まると、信玄と幕僚は戦場の方角を向いて、身じろぎもしなかったそうです。



さて、2000年(平成12年)11月20日、『Kの乱』が失敗しました。

自民党の元幹事長のKが不人気のM内閣打倒を企てましたが、あっけなく降参したのです。

反乱末期、彼は自ら『戦場』に出ようとしましたが、同士の一人に羽交い絞めされました。

「あんたは大将なのだから、出てはいけない」と言われている光景はまだ記憶にあります。

まあ、失敗すべくして失敗したといえるでしょう。



Kは、かつては『YKK』の一人として、次期総理候補といわれました。

しかし、この反乱の失敗で晩節を汚したといわれています。

ライバルの『Y』は女性問題で落選したこともあります。

もうひとりのKは、ある女性から『変人』と評されましたが、念願かなって総理大臣になりました。

当初は圧倒的な人気でした(なにぶんにも、あのMの後でしたから)。



『毀誉褒貶』という言葉があります。

読むは難しく、書くはさらに難しい言葉です。

もうひとりのKは、何が『毀誉』で何が『褒貶』なのでしょうか。

人の一生は棺を覆って定まるといわれています。

覆う前に定まったという人もいます。
posted by 陳澤民 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。